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2006年06月15日(木) 

驕れる白人と戦うための日本近代史

午前6時50分起床。浅草はくもり。

 驕れる白人と闘うための日本近代史  驕れる白人と闘うための日本近代史


この本は、『縦に書け!』を紹介してくれた小学校の先生の推薦本です。出版社の紹介記事から内容を引用します。

自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちこそ文明の名に相応(ふさわ)しく、地球上の全民族は欧米文明の恩恵に浴することで後進性から救われる、という欧米人の優越意識に、決然と闘いを挑むべくドイツ・ミュンヘンで出版され大きな物議をかもした書。

著者は、江戸期の鎖国日本がみごとなまでに経済的社会的にバランスのとれた「小宇宙」社会を形成していたこと、それを壊さざるをえなかったのが、欧米の「侵略」に抗した日本近代史の真相であると、「日本の文明的優越」論を展開する。(引用:文芸春秋書記ファイル

私の主張は、どちらかと云えば"右より"と云われて居ますが、当の本人は全くその気はないのでありまして、右も左も向いてはおりません。両極の方々の主張は理解はできますが、のめりこむようなリアリティはどちらにも感じてはいないのです。

ただ、私がやってきたことは、「ITが普通にある時代」に私らどうやって生きていくのよ、ということであり、それを考えて行く中で、どうも欧米流――というか米国流――のナイーブな市場原理主義リバタリアニズム的価値観だけでは"生きていけない"と感じているだけです。

それは私の生業においては、建設業の方々とのお付き合いの中でも強く感じることですし、また「超合理性」というような、非合理性を下敷きにした合理性の存在を理解し始めたからです――それは失ってはじめて存在に気づいたというようなものですが、次回の法大ECはここの部分が中心です――。

たしかに近代化先進国からみれば、日本的なものの多くは非合理であり、国家は近代化後進国であり、個人は自立できない子供のように見えるかもしれません――日本語はたしかに去勢不全の状態を生み出してはいます――。

しかし今私たちが取り組んでいる「考える技術」とは、つまりはバイロジックのことですし、それは云ってみれば『江戸期の鎖国日本がみごとなまでに経済的社会的にバランスのとれた「小宇宙」社会を形成していたこと』が創り上げた非合理性(欧米から見ればだが)と、欧米流の密画的合理性のハイブリッドだと云うことができます。

今、世の中はどちらかといえば右よりであるかと思います。今日紹介した『驕れる白人と闘うための日本近代史』も、『縦に書け!』も右よりです。ベストセラーである『国家の品格』もそうですし、ネットの世界は、以前から右傾化が進んでいるのもたしかです。

それに対する批判も多いかとは思いますが、その右傾化とは昨今のリバタリアニズム的政策に疲れた方々の少しだけの反発なのだと考えています――それを政治は利用しようとしますから要注意ではあります。宮台真司流に云えば「アイロニカル」な態度が必要だ、ということになるのでしょうが、それが「アイロニカルな没入」にならないとは云い切れないわけです――。

私はバイロジックのひとつの要素である非合理性を探っていくなかで"日本的なもの"に興味を持つようになったのですが、特に日本人が優秀だとも劣っているとも思っていません。ただ、ジャック・ラカンが日本人には精神分析はいらない、と云った、その根源的理由である日本語をミームとして受け継いだ者として、日本語で考えることを続けていこうと思います。

ちなみに『驕れる白人と闘うための日本近代史』はドイツ語で書かれたものです。著者の松原さんは当然日本語が使えますが、これだけ戦闘的な本は、日本語ではかけないだろろうなと思うのです。ですから翻訳は別の方がやっておられるのでしょう。

縦に書け!―横書きが日本人を壊している

縦に書け!―横書きが日本人を壊している

 

 国家の品格  国家の品格

投稿者 momo : 2006年06月15日 09:01 : Newer : Older

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