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2019年03月03日|お知らせ


2006年07月11日(火) 

裏ウェブ進化論―骰子一擲は続いている。

午前6時起床。浅草はくもり。火曜日は裏浅草の店も定休日のところが多く、比較的静かな日常に戻る。

ブログ化

さて、このサイトもブログ化して約一ヶ月と十日が過ぎた。ブログ化で狙っていたのは、何よりも記事(エントリー)の固定アドレス化であって、それは検索エンジンでの引っかかりやすさ(偶然性)の向上を狙ってのものだ。

その効果は徐々に出ているようで、Taggingでいえば、カルト級の――だれも使わないような、と云う意味で――キーワードで、Googleの検索結果の一ページ目に、当サイトの記事が表示されるようになってきている。

Googleの民主主義

Googleは、Webサイト相互のリンクの関係――ペイジランク・アルゴリズム――で編成してあると云う。

権威ある学者の言説を重視すべきだとか、一流の新聞社や出版社のお墨付きがついた解説の価値が高いとか、そういったこれまでの常識をグーグルはすべて消し去り、「世界中に散在し日に日に増殖する無数のウェブサイトが、ある知についてどう評価するか」というたったひとつの基準で、グーグルはすべての知を再編成しようとする。ウェブサイト相互に張り巡らされるリンクの関係を分析する仕組が、グーグルの生命線たるページランク・アルゴリズムなのである。(『ウェブ進化論』:p54)

それをインターネットの意思としての「民主主義」と呼んでいるようだが、普段のその(民主主義の)顔は、ポピュリズムか商業主義でしかないだろう。

けれども、私のサイトのようなロング・テールを無視しているわけでもない、という意味では――少数意見も尊重されてはいる、という意味で――リアルな民主主義よりは少しはましかもしれない、と思うのだ――スティグレールのいう意味での「個体化」の可能性を残してはいる――。

タグという表徴

そして今朝も、テクノラティのタグ検索のページを見ていた。

これは現代の「骰子一擲」かもしれないが、少しも美しくはない。

詩の持つ崇高さなど微塵もなく、反省に送り返されることのない言葉の屑のように見える。しかし、『それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない』というの言葉を私は支持している。

ネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現をおこなっているに過ぎない。(中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p365)

タグは、吐き出された「私」なのである。「みんな」の中にかき消されそうな声の集合の中に「私」をようやく置いているように見える。しかしこれも、ウェブに表出した、まぎれもない「われわれ」の現実の声なのだと思う。

参考

ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まるウェブ進化論

梅田望夫(著)
2006年2月10日
筑摩書房
777円(税込)

投稿者 momo : 2006年07月11日 08:19 : Newer : Older

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