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2006年08月26日(土) 

殿様の通信簿―官僚制とバカ殿の国―

午前6時39分起床。浅草はくもり。目の調子はあんまり変わらず。

06082301.jpg殿様の通信簿

磯田通史(著)

2006年6月30日
朝日新聞社
1300円+税


豊かになれば、人間というものは、歌舞音曲と恋愛と宗教にしか興味をもたなくなる。これは古今東西を通じて歴史の法則であるといってよい。(『殿様の通信簿』:p252)

バカ殿の国ニッポン?

この本に納められているのは、伝記であって、私は伝記の批評などできるわけもなく、伝記としてこの本がどうのこうのといえる能力はないので、それについては書かない。しかし私的には、上に引用した部分、つまり

豊かになれば、人間というものは、歌舞音曲と恋愛と宗教にしか興味をもたなくなる。

ということにおいて、とても興味深く、そして面白くこの本が読めた。なぜならこれは現代にも通じるものがあると思うからだ。いまの日本人の多くは、ほとんど江戸時代の殿様のような生活をしていると考えられなくもないだろう。

殿様たちは江戸時代のなかで未来を生きてきた、といっていい。現代日本の我々と同じように、飢えを知らず、やわらく、うまい食事に箸をつけた最初の日本人たちであった。(『殿様の通信簿』:p249)

(最近この国の歴史を勉強し始めた)私の疑問のひとつは、同じ殿様(武士)なのに、中世(戦国時代)の殿様と、近世(江戸時代)の殿様とでは、質的に違いすぎるのじゃないのかということだ。

戦国時代の殿様は皆ワンマン社長のようなもので、なにからなにまで口を出す。それは、人殺しの職人集団としての武士の種的特長や、その棟梁として変革の時代を生き抜くためには必要なことなのだろうと思う。しかしそんな殿様の跡取りは、時代が安定してくるに従って、ほとんどお公家化してしまう。

官僚制

バカ殿――志村けんのあれを思い出してもらえばよい――といえば元禄の世の跡取り殿様と相場は決まっている――この本のなかでは池田綱政がその典型として描かれているが、この殿様は、政治はほとんど他人任せで、せっせと子造りに励み、七十人の子供をつくったそうだ――。

しかしどんなバカ殿でも殿様は殿様であり、大方の藩は無事経営されていた。そこには官僚制的なものが働いているぐらいは察しがつくだろうが――実際、幕府は官僚制であるがここでは触れない――、要は、殿様のお公家化と官僚制は無縁ではないということである、お公家化は朝廷化であり、朝廷化とは官僚制化であるということだ――朝廷は官僚組織である――。

なので私は(磯田氏は日本の官僚制の素を江戸時代に見ているが)、橋本治が『権力の日本人 双調平家物語ノートⅠ』でいう

「日本の都市文化のルーツは江戸にある」と思っていたが、実はそれより古くて、すべてのルーツは平安時代にあるのだなということもよく分かったので、「やっぱり『平家物語』をやりたい」と思う。 (『権力の日本人 』:p9)

を支持したい。

そして朝廷の官僚制がなぜ武士を生み出すことになるのかは、橋本治の労作を読んでほしいと思う。つまり(平安時代以前は知らないが)、官僚制は短い非官僚制の時代を生み出し、それはまた安定(官僚制)を生むのである。

それは安定→変革→安定という時代のキアスムのようなものであり、それによって我々日本人はミーム的に進化してきた(その特徴を強めてきた)ということだろう。

それは国のことばかりをいっているわけではなく、その時代の流れに乗って生きる組織(企業も例外ではなく)もまた然りなのだと思う。

権力の日本人 双調平家物語ノートⅠ権力の日本人 双調平家物語ノートⅠ

橋本治(著)

2006年3月28日
講談社

1900円+税



Web2.0ミームと官僚制

そしていま、この国は変革の時代である(らしい)――それもそろそろ飽きてきて(消費してしまい)消費者は安定を求めているようにも思えるが大きな流れは変わらないだろう――。その大きな流れの本質の一端を、「Web2.0ミーム」が象徴しているとすれば、時代は、非官僚制的なもの、武士的な上昇志向を好むのは当然のことかもしれない。

 「Web2.0ミーム」は反官僚的であり、リバタリアニズム的な市場経済を軸にした上昇志向に溢れている。

そしてそれを担っているのは、官僚的な団塊の世代ではなく、官僚的なシステムからはじき出された若者たちでもある。

しかしここはバカ殿の国なのである。 (笑)

いま、この国でおきていることには、日本人がもってきた「習性」というものが、やはり深くかかわってきている。たとえば今日問題になっている「官僚国家の日本」というのも、批判するのはたやすいが、その背景には、たいへんな官僚国家のもとをつくってしまった江戸時代の日本というものが、しっかりと、よこたわっている。(『殿様の通信簿』:p251)

これはたしかだろう――先に書いたように官僚制の根源はもっと古いと私は思うが――。フリーターやニートであっても、三食お飯が食えて、寝る場所があって、少しは好きなことに時間を費やすことができるのであれば、日本的な官僚制はなくなりはしない。

象徴の貧困?と官僚制

たとえそれ(くうねるあそぶ)が、官僚の作り出したものでなくてもだ――つまりいまのそれは「ハイパーインダストリアル社会」であり、(官僚がコントロールを放棄した)「コントロール社会」にある(「象徴の貧困」)が、官僚はあたかもそれを自らがコントロールしているように装うだろう――。

私はそれ(くうねるあそぶ)が満ち足りていることは悪いことでないと思うし、豊かになれば、人間というものは、歌舞音曲と恋愛と宗教にしか興味をもたなくなることも特段悪いことではないと思う。

まあそれは「動物化」なのではあるが、だとすれば、政治に無関心であってはならない、という条件付けが必要なのだと思う。今の時代の殿様とは、主権在民、つまりわれわれなのだ。

つまり、村上泰亮が示した開発主義のプロトタイプ(8)にある

「公平で有能な、ネポティズムを超えた近代的な官僚制を作る」

のように、 官僚制がきちんと機能していれば、われわれはバカ殿を装っていてもよいのである――開発主義のはじまりのように、そういう時代もたしかにあった――。

しかし官僚制がちゃんと機能せず、われわれが本当のバカ殿であったら……(開発主義は日没させるのが難しい)。 まあ、そのツケが、いま表面化しているってことなのだろうと思うが、それは平安時代からあんまし変わっていないってことなのだろう。(笑)

投稿者 momo : 2006年08月26日 08:52 : Newer : Older

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