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2007年01月01日(月) Tweet
パトリとしての雑煮。
大晦日、矢板の八木沢さんから餅がとどいた。
お世話になったあの人に、今年は餅をついて贈ろうと、今日は、家内と義祖父と私とで餅つきをしました。義祖父は高齢だし、家内はへっぴり腰だし、餅をつくのは殆ど私。ということで、今日は4升を3回つき、終わりにしました。当然、これっぽっちでは足りないわけで、明日、明後日と餅つきは続きます。(たまげたはなし:「餅つき」より)
八木沢さんありがとう。
パトリとして雑煮
雑煮は地方によってさまざまな形がある。つまり、パトリが延長された表現型として表出しやすい。
それはまず、次のような〈東/西〉の差異として大きく区分される。
〈角餅/丸餅〉 〈焼く/焼かない〉 〈醤油/味噌〉
うちの雑煮は、丸¬、焼かない¬、味噌¬であることで――つまり角、焼く、醤油であることで、それは鶏肉の入った醤油の澄し汁をベースにした東京(東日本)の雑煮の姿だ。関連:全国お雑煮マップ2005
それにしても、この餅は、うまい。
第4象限生まれの第3象限
八木沢さんの餅は、私のパトリを目覚めさせてくれるものとして、第4象限のものだ。
しかしこの餅は、八木沢さんがいうように、非合理な生産過程を経て生まれたきたことで第3象限に位置する。
しかしそのうまいは合理的なのである。合理的にうまいということは、うまいがわかりやすいということだ。
しかしそれは、ザラザラとした人生の手ざわりを孕むことで、言葉にはしにくい――わかりやすいことと、言葉で表現できることは、同意ではない。
つまり私の記憶の奥底で眠っていたなにものかを、合理的に目覚めさせる(ショートサーキット)、非合理性を持ち合わせていることで、うまいのである。
投稿者 momo : 2007年01月01日 11:30 : Newer : Older
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