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2007年03月11日(日) Tweet
桜のころ。
午前7時30分起床、浅草は雨。
このところ浅草は寒い。しかしそれも春の前触れであることで、希望のある寒さというか、心は軽い。三寒四温とはよく言ったものだ。
前にも書いたが、今年はなぜか桜が待ち遠しくてしょうがない。たぶん歳取ったせいだとは思うのだけれども、今年は桜の開花も早いと聞く。墨田公園でも上野でもいいから、はやく花見がしたいなと思う。
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桜のころ |
歌詞(↓)
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=15745
桜のころ
決まってこの時期になると聞く歌があって、それは甲本ヒロトの歌う『桜のころ』だ。
この曲は、もともとはサッカー日本代表への応援ソングらしいけれど、(私は)そんなことは知らなかったし、(私にとっては)どうでもよいことでしかない。
坂本隆一のR&Bっぽいメロディと甲本ヒロトのヴォーカルのハイブリッドは、どこか切ないのであって、とても応援ソングとは思えない。
だが、それはまたどこかで力強さのようなものを孕んでもいる――桜の花のイメージは、たしかにそんなものかもしれない。
花見はどこか切ない、というか刹那的であるが、それを心待ちにできることで、私は1年という時間を感じることができる。
時間を感じられるということは、まだ希望というものが機能している証だろう。
音楽
音楽というのは、そういう感覚的なものを表現するにはうってつけの手段である。私の敬愛する詩人ステファヌ・マラルメが、音楽に嫉妬した気持ちが、最近はなんとなくわかる。
私はこうして毎日(しょうもない)テクストを生み出している。それもマラルメがやったように、可能な限り反省の次元に送り込んだ言葉となるように努力はしている(つもりだ)。
しかし、こうして書いていて思うのは、音楽にはかなわないな、ということである。
あの音楽の持っている、非合理性へ接続する触手のようなものを、テクストに持たせるのは、(私のような)凡人には、とても難しいことでしかない。
投稿者 momo : 2007年03月11日 08:22 : Newer : Older
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