FROM MOMOTI.COM

サイボウズOffice10へのバージョンアップをやりませんか。

2019年03月03日|お知らせ



『鬱の力』―建設業の今は鬱のようなものだけれども、「鬱は力である」と建設業は言えるのか。

鬱の力

鬱の力 (幻冬舎新書 い 5-1)

五木寛之(著)
香山リカ(著)
2008年6月15日
幻冬舎
740円+税

この本は先に「フレーズ」でも紹介したものだが、再読して思うのは、活字は大きいし、漢字にふりがなはついているし、目に優しい本だな、と。しかしそれは別にしても、これは今、建設業の皆さんが読むに値する本だと思う。

「建設業は(そして地方は)鬱のようなものだ」と言うあたしだが、「鬱」というのは(たぶん)個人的なものなので、あたしの感じるそれは、その組織(というかある集団)に支配的な雰囲気をさしてそう言っている。だからそれはアノミーと呼んだ方がいい(たぶん)。

地方や地方の建設業の疲弊、「うつ」状態は、言ってみればアノミーであって、それは「」や「われわれ」が依って立つ地面(つまりパトリ)の底が突然抜けてしまったような虚無感だ。※1

その特効薬は「税金の無駄遣いをやめて、公共工事を増やそう!」でしかないが、開発主義がバリバリと機能していた頃を「躁」とするなら、

地域が活性化しているときは一種の躁状態で、みんな気持ちがうきうきしている。過疎化してくれば当然、気持ちが沈んでいきます。(五木:p150-151)

なのであって、建設業も地方も過疎化しているし、やっぱり「鬱」である。しかし「躁」という高揚の時代は必ず危うさ孕むのであって、

戦争中の日本人は全員が躁状態でした。(五木:p187)

なのである。ここでデジャブのように、[初心者のための「文学」。(大塚英志)]で引用したセバスティアン・デ・グラツィア(デ・グレージア)の『疎外と連帯―宗教的政治的信念体系』(絶版)という本の「戦争と単純アノミー」という章から再引用してしまう。

前大戦中、イギリスの精神病医たちは、英本土の諸都市のように猛爆にさらされた地区でも、銃後の人たちがトコトンまで戦争をやり抜く構えをくずさなかかったのをみて、首をヒネらざるを得なかった。親たち自らよく窮乏生活を耐え忍んだので、子供たちの間にさえ、なんら憂慮すべき心理学的悪影響がみられなかった。精神病医たちは精神神経症患者が大量に発生するものとみていたが、実際には少数の患者が出ただけであった。が、戦争終結を機として、彼らは除々に自信をとり戻していった。突如として予測されていた事態が起こり出したからである。戦争に明け暮れた幾歳月かの間中、緊密に相調和しながら暮らしてきた人たちは、お互いにとげとげしくなった。飲屋での喧嘩口論や犯罪者の拘引件数も驚くべき上昇率で急増した。至るところで、人は病的兆候を示すようになった。精神病診療所はとても戦時中の収容力程度では間に合わないくらいの繁盈ぶりを示した。そればかりではなく、外見上器官系統の病気とみられるものだけで扱ってきた、他の診療所や医者たちも、予想もしなかった患者の急増に音をあげる始末であった。戦争は終ったのである。(デ・グラツィア:p284)

もし単純アノミーが存在するとしたら、戦争が起こるかもしれないといった予想から、アノミーの状態から脱却する明るい見通しが生ずるのである。現実の戦争の紛糾に巻き込まれると、人はかねて戦争の明るい面と予想していたものが事実上証明されるのを知ろう。このことは非戦闘員の場合についてとくにそう言える。(デ・グラツィア:p285)

つまり、「鬱」の特効薬は「躁」に違いないのだが、その躁が向かうところはけっこう危ないところのかもしれない、と。小泉政治バブルは失われた10年という「鬱」が生み出した「躁」だったけれど、それは建設業にとっては「鬱」の始まりでしかなかったわけだし。

そして今、「躁」を経済政策的につくり出すことは無理な状況が続いている。であればあたしらは、「鬱」を味方にするしかないのだろうが、はたして建設業は(そして地方は)「鬱は力である」と言えるのだろうか。それは普遍経済学的思考ができないかぎり無理だ、と、この本に書いてある。(書いてはないけれども、書いてあるのである)。

※注記

  1. 「税金の無駄遣いをやめて、公共工事を増やそう!」―地方とそこを住処にする建設業の「うつ」状態、若しくは単なるあたしの愚痴。
Tags: うつ病 ,

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年06月30日 23:25: Newer : Older

このエントリーのトラックバックURL

https://www.momoti.com/mt/mt-tb.cgi/2152

Listed below are links to weblogs that reference

『鬱の力』―建設業の今は鬱のようなものだけれども、「鬱は力である」と建設業は言えるのか。 from モモログ

トラックバック