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2019年03月03日|お知らせ



学校へ行くことの経済不合理性と公共工事―『親の意識が変化? 中3は「28人に1人」が不登校に』という記事。

親の意識が変化? 中3は「28人に1人」が不登校に

不登校の児童・生徒の全体に対する割合小中学校で病気や経済的な理由以外で年間30日以上欠席した「不登校」の児童生徒が、平成19年度は12万9254人(前年度比1・9%増)に上り、2年連続で増加したことが7日、文部科学省の学校基本調査(速報)で分かった。特に中学校では34人に1人が不登校の計算で、過去最高。文科省は「子供の自殺への懸念などから、『無理に学校に行かせなくてもいい』と思う親が増えているのが一因では」としている。

不登校は、小学校が全体の0・34%に当たる2万3926人、中学校(中等教育学校前期課程含む)が2・91%に当たる10万5328人。小中とも学年が上がるにつれて増加し、中学3年では28人に1人の割合にまで高まっている。from 親の意識が変化? 中3は「28人に1人」が不登校に - MSN産経ニュース (図は東京新聞

不登校の原因

不登校になるトリガーは様々であって、それは《不登校のきっかけで本人以外の要因(複数回答)は「いじめを除く友人関係」18・4%、「親子関係」11・1%、「いじめ」3・5%など。》なのだが、文部科学省は、都道府県教委に不登校が増加した要因を(初めて)聴取したようで、その結果(複数回答)をみれば以下のようのものだ。

  1. 「人間関係をうまく構築できない子供が増加」93%
  2. 「家庭の教育力低下で基本的生活習慣が身についていない」83%
  3. 「『嫌がるものを無理に行かせることはない』とするなど保護者の意識が変化」65%
  4. 「無気力でなんとなく登校しない子供が増えている」64%-などだった。

この結果を見て、文科省は、

「(1)と(2)は以前からあるが、(3)はいじめ自殺が一昨年秋から増えたことによる新しい傾向」と分析。「前年から不登校が続いている児童生徒の人数は改善がみられるので、スクールカウンセラーの活用など従来の対策に引き続き力を入れたい」としている。

らしい。しかし子供が不登校になるのも、親が『嫌がるものを無理に行かせることはない』と考えるのも、原因は単純であって、それは、学校に行くよりも行かない方が合理的だと感じる心象が働いているからだと(あたしは)思う。

学校へ行くことの不合理性

それは学校に行くことは不合理だということであって、勿論それ(学校に行くこと)には「勉強すること」も含まれているのだけれども、つまり「勉強すること」は不合理なのであり、割が合わないのである。

一生懸命勉強したところで、一生懸命勉強した結果として得られる生活(将来)に希望を持てないのであれば、学校なんていう、肥大した自我の肥大した自由を疎外する共同体性(中景)に身を置く理由は無いのである。それは鬱陶しいだけだけのことでしかなく、自我は年齢とともに大きくなるので高学年程不登校になるのは当然のことでしかない。

贈与の衰退とキアスム不発

彼(女)らは(そして親もか?)は、学校に行くことに自体に不合理性を感じているからこそ、学校へ行かないわけで、では、どうして学校へ行くことに不合理性を感じるのか、といえば、キアスムここで「キアスム―贈与の原理」を持ち出すのは簡単なことだろう(簡単だ、なんていうのはろくなものがないのであって、だからあたしのいうことなど疑ってかかった方がよいことは言うまでもない?)。

つまり、不登校というのは、「学校に通う」ことで経験する様々のこと(勉強することも含まれる)で変化する自分(将来の自分)を思い描けない、ということなのだ。

若しくは学校という共同体において〈他者〉との関係から自分というものを確立していくことの(過程の)鬱陶しさが、経済合理的に割に合わない、と感じているということなのだ(「人間関係をうまく構築できない子供が増加」93%)。

つまりは、「学校に通う」という自分に対する「贈与」と、それに伴って時間軸に沿って変化(成長)する自分を諦めているのではなか、と(あたしは)思う。若しくは等価交換に持ち込めない。

それは、交換の原理(経済合理性)に強く支配された消費主体の心象か、お先短い者のやけっぱちの心象であって、つまりは「学校に通う」ということが、経済合理的に割にあわないのであれば、彼(女)らは(そして親もか?)にとって、不登校は、自分の心象にまったく矛盾しない経済合理的な選択でしかないのである。

それはなによりも〈他者〉には(たいして)迷惑をかけないし、自分の心象に矛盾しないのである。であれば、それに対するどんな説得も意味をもたないのは当然のことでしかなくなるだろう。

唯一可能だと思える説得のロジックは、学校に行く方が行かないよりもお得です!それも短期的に、であって、それが説明可能な場合には、不登校は減るかもしれないが、それが時給850円の(小泉構造改革で成長したのは人材派遣会社だけ、という)この社会で可能か、といえば無理なのである。(たぶん)

公共工事と不登校

それは建設業界でも言えることであって、例えば談合は貸し借りという「贈与」なのだけれども、その「贈与」が否定され、経済合理性に優れているといわれる一般競争入札(価格競争=交換の原理)が支配的になれば、それはお先短い者のやけっぱちの心象が支配的になるのは当然のことでしかない。

つまり「貸し借り」はないのであり、そして将来的な受注は保証されていないのだから、目先だけを追うのは当然のこととなる。もしそれが割にあわないのなら、公共事業の市場からは退場しなさい、という圧力は働く、つまり不登校である。

業界から撤退するのも、学校へ行かないのも、経済合理的には真っ当なことなのであって、つまりはそれを正当化するロジックは環境の中でちゃんと働いているのである。つまり『嫌がるものを無理に行かせることはない』と、談合は絶対悪だという心象は、経済合理性においてつながっているのである。(たぶん)

建設業で働いて人達が、そんな環境の中で、時間軸に沿って(つまり建設業という仕事を通して)成長する自分を想像できるのか、といえば不可能であろう。ただ地方の小さな建設業者の多くは、この業界に身を置くことで、成長する自分を想定してきた人達でしかなく、だから、簡単には「割に合わない」とは思えないのだ。だから最後まで頑張ることで終焉は悲惨だったりする(それを誰が責められよう)。

つまり、地方の小さな建設業者がおかれている環境と、不登校の子供達がおかれている環境は、似たようなものなのである。それを個人の問題とする風潮もあるけれど、あたしは個人の資質よりも社会のOSの問題だと思っているわけで、じゃなかったら政治なんていらないじゃないの、と。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年08月08日 10:58: Newer : Older

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