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2019年03月03日|お知らせ



トマトの方々がつくったXIMA(シマ)は、今、Webが表現できる、最も美しい『骰子一擲』には違いなく。

XIMA(シマ)
XIMA(シマ)

トマトの方から

午前6時45分起床。浅草は晴れ。昨日、トマトの方からメールが届いた。相変わらず面白い人達だな、と思う。

昨年の12月に、DreamFarmをご紹介させていただいたものです。あの時は、ブログのほうで取り上げていただき、お礼も申し上げず誠に失礼しました。/サービスの内容、こちらの意図までも簡単に看破され、『壮大な実験』という結びに関してはスタッフ一同、苦笑いするほかありませんでした。

また、懲りずに新しい実験をはじめました。/・サービス名:XIMA(シマ)・URL:http://xima.jp

今回のテーマは、アンチSNSです。Web2.0のテクノロジーは多用しながらも、Web2.0的ミームを逆手にとって突然変異させることを考えています。加えて申し上げると、CGMの流布で玉石混淆の状態で一挙にコンテンツが広がる中、磨耗してしまいがちのセレンビピティをエンハンスさせ、“個”を加速させることを目的としています。(略)

セレンディピティ

セレンビビティは、セレンディピティ(serendipity)のことだと思うけれど、それを茂木健一郎先生は、

智慧と偶然により、求めていたのとは異なるものを見いだしたのである。このような発見を、私は「セレンディピティ」と名付けたい。 from 「セレンディピティ」(serendipity)という言葉の起原について

といっていて、つまりは「偶有性を必然に結びつける能力」とでも解釈しておけばいいだろう(たぶん)。ここ数日間にあたしが使った語句だと、類化性能(@折口信夫)に近いもので、それは、分析するというよりは、ハイブリッドする能力であることで、(たぶん)同根の脳の仕事と考えている。

それをエンハンスさせながら"個"を加速させる、とは、多くの方には意味不明だろうが、中沢新一さんが指摘した以下の命題に対する、技術的なチャレンジなのだと解釈したい。

マラルメ詩が小さな帆船に乗り込んで漕ぎ出した、近代の荒れ狂う多様体の海は、百年後には比較的穏やかな乱流となって、表層の全域にそのカオスの運動を繰り広げるようになった。そのことは、もはや「高踏的」な知的エリートばかりではなく、インターネットを手にした多くの大衆の体験し、知ることとなったのだ。マラルメはその多様体の隅々にいたるまで意識のネットワークを張り巡らせ、大切な接続点でおこっていることのすべてを言語化しようと努力した。これに対してネットワーク化した社会を生きる大衆は、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化することによって、現実の表現をおこなっているに過ぎない。それはとりたててすばらしいことではないが、かといって陳腐なことでもない。ハイブリッドの氾濫、それはまぎれもない現実であり、十九世紀にマラルメのような人物がはじめて意識した問題は、いまや今日の大衆の実感になっている。from 中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p365

あたしが、SNSの想像界的から、意識的に離れているのは、中沢新一さんのいう、《小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化する》世界が、(SNSを通ることで、あたしの許容限度を超えて)乳臭くなってしまっているからであって、それはインターネットにおける"個"(エッジのたった個)の確立の、障害になっている、としか思えなからだが、では、トマトの皆さんの新しいチャレンジ(XIMA)は、それを克服できているのだろうか。

骰子一擲

Bloomberg ICEサイトを一目見みれば、最初のインプレッションは、丸ビルにあるBloomberg ICEのWeb版か、なのである。

それは、意識的になのか、無意識になのかは知らないけれど(Bloomberg ICE同様)、やはりマラルメに帰結している。(『骰子一擲』とXIMA(シマ)を実際に見比べれば、それは直ぐにわかるだろう)。

しかしXIMAは、今、Webが表現できる、最も美しい『骰子一擲』には違いなく、Web2.0的には、タグクラウドも『骰子一擲』だったけれど、これは100倍ぐらい美しい(とくに夜のバージョンはいい)。自分のブログで、タイトルベースで実装したら、さぞや面白いだろうな、等と思う。

骰子一擲〈あき〉は事実,重要な役目をになっており,先ず目をおどろかせる。抒情的なものであれ,ほとんど無脚のものであれ,語群は,真中のあたりに,紙片のおよそ1/3を占めるくらいに,まるで沈黙のようにアキにかこまれており,詩法がそれをしからしめたのである。分量は,かえないで,ぼくはただそれをばらまく。一つのイマージュが,続く他のイマージュをうけて,ひとりでに,中絶したり,復帰したり,するごとに,紙が干渉する。整然とした,ひびきたかい麗句とか,詩句とかは,いつものようには問題でなく,むしろ, イデエ のプリズム再分割,それが現れる瞬間,が問題であり,厳密な,精神的な,なんらかの演出においては,それらイデエ全体の持続が問題なのであるから,もっともらしさに応じて,眼に見えない道案内の糸によって,近くに,あるいは遠くに,様々な場所にテクストは位置をしめる。from ステファヌ・マラルメ:骰子一擲 のノート

フレーズ

もちろん、XIMA(シマ)にあらわれるのは詩編ではなく、ただの浮遊する"ことば"だが、マラルメがいうように、この表現方法において大切なのものはイデエである。だから問題は、その"ことば"に力があるか、ということなのだが、あたし的には「時々あるかもしれないな」と面白がっていたりする。

つまりXIMAの要はタイトル付けにあって、それはあたしたちがいう「フレーズ」のことだ。《零細企業の代表としては、「収支が黒字になる」ことも「入金がドッとある」ことも嬉しいが、それ以上に目下の愉しみは「タイトルが9.90の着地で決まる」》(@中島敦%140B社長)なのである。これは「頭のよくなるブログの書き方」でもあって、少しは反省の次元を経由させないとできないことなのだけれども。

"個"は加速するか

だからそれが、匿名性のルールの中で、どう"個"を加速するのか、その加速するものが"個"であるのか、という問いに対しては、あたしはまだ語る"ことば"をもたない。ただ言えるのは、あたしはこれを、ボーッとして見ているのが好きで、つまり、XIMA(シマ)は、今、Webが表現できる、最も美しい『骰子一擲』には違いない、ということだな。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年10月07日 08:16: Newer : Older

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コメント

最高の賛辞のお言葉ありがとうございます。
マラルメを持ってこられるとはこちらが脱帽です。

投稿者 元祖 : 2008年10月10日 12:16

>元祖さん

コメントありがとうございます。
Webでの表現系は、大切な接続点でおこっていることのすべての言語化なのでしょうが、それがどうしても、小さな自己意識の周辺に集まってくる無数の前対象を、反省に送り返すことなくイメージ化してしまうことによって「骰子一擲」なんだと思うのです。

投稿者 ももち : 2008年10月18日 08:18

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