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2019年03月03日|お知らせ



なんちゃってデジタルクロスプロセスで遊ぶ。(オンライン画像編集サイト Picnik)

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DMC FZ8+クロス プロセス by Picnik

VISTAQUEST VQ1015 Entry+デジタルクロスプロセス IVISTAQUEST VQ1015 Entry
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VQ1015 Entry+クロス プロセス by Picnik

午前5時30分起床。浅草は曇り。簡易デジタルクロスプロセスというよりも、なんちゃってデジタルクロスプロセスで遊ぶ。

あたしはほぼ毎日写真を撮る人だけれども、それはアマチュアの写真家、写真マニア以前の仕草でしかなく、ただの映像メモ(記録)である。

そんなあたしに写真に関する語彙ボキャブラリーなどあるわけもなく、デジタルクロスプロセス(略称:デジクロ)なんて、Web上にある説明を読んでも「なんだかよくわからない」でしかないけれど、オンライン画像編集サイト「Picnik」に「クロス プロセス」なる機能があったので、サクッとやってみたのだ。

ワンクリックの作業であるが(故にか)できあがりは面白い。

あたしは写真を撮る人で、それ以上に写真を観る人で、写真を観ることは好きでも嫌いでもないけれど、毎日写真を撮る人であるあたしは、否応なしに毎日写真(というか画像)を見ている。

あたしの外付けHDDは退蔵された写真の格納庫でしかないが、たまにそんな写真をみていると過去が鮮やかに蘇る(こともある)。

しかしその「鮮やかに」は、ほんとは鮮やかなはずもなく、写真の本質(ノエマ)が『それはかつてあった』ものでしかない※1のなら、その失われたモノは想像界の楽しみだろうが、イマジネーションなんてこんなもんだよ、とデジクロは、しらっと語りかけてくる。しかしそのだまし絵のような写真に心惹かれる。

「解釈は、貸借を満たすために、快速でなければなりません。」(@ジャック・ラカン)を引用するのは、解釈はトポロジックなものであり、色と形で理解できるとき、それはうだうだとテクストの意味を追いかけていくよりもずっと速い、という程度の理解であって、つまり〈他者〉のテクストを読んでいても、それがトポロジックに、色と形として理解されるとき、解釈は快速だといっている。そのためには(共有の)語彙が必要だとも。

その快速には多分に無意識が機能しているなら写真での伝達は非論理的に快速なのである(たぶん)。しかし機械的な創造性の時代に写真が真実を写しているなんて今やだれも思うこともなく、トイデジやデジクロはそのウソっぽさを非日常として強調する。

非日常性を非日常性として表現しているものがエンタテイメントであるなら、それに悪気はないだろう。ここにある画像はささやかなエンタメ、所詮はウソでる。Webは日常を装ったウソに溢れていからややこしいのだけけれども、これはウソであると明記してみる(VQ1015 Entry+クロス プロセス by Picnik)のは後ろめたさなのか。

トイデジ+デジタルクロスプロセは、ウソはウソとして楽しめるといっている。しかし見えるものを少しは疑えともいっている。つまり解釈は快速だけではいけないのである。けれど快速は楽しい……なんなんだ。

上野駅&アメ横&浅草
アメ横 大統領 上野駅広小路口
浅草演芸ホール ROCKZA 名画座
VQ1015 Entry+クロス プロセス by Picnik

※注記

  1. 『それゆえ、「写真」のノエマの名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。』 (ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p94)

Written by 桃知利男のプロフィール : 2009年04月21日 08:22: Newer : Older

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