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2019年03月03日|お知らせ



元祖熊本ラーメンこだいこで〆る。(熊本市花畑町)

こだいこラーメン
こだいこラーメン 2009/07/16
with SO905iCS+Orton風 by Picnik 

熊本でよく呑んでいた頃、〆はいつもラーメンだった。当然にそれは熊本ラーメンであり、豚骨ラーメンと呼ばれている九州のラーメンでも博多のそれと熊本のものでは全然違うものであることを教わったのだ。

しかしそんなことより、あの頃の紐帯がもっていた情熱というかバイタリティーというか、熊本ラーメンにはそういう《それは=かつて=あった※1、つまりたしかにあったことが今は思い出として寄生してしまっている。

15日は久しぶりの熊本の夜、今日はラーメンでしめましょうと池田さんにおねだりし、こだいこラーメンに連れていっていただき、久しぶりに熊本での熊本ラーメンなのだった。

熊本の豚骨ラーメンは好きだ。しかしあたしには十分すぎるぐらいに「こってり」なこの一杯も、池田さん的には「あっさり」とのこと。〆の一杯にチャーシュー2枚はいらないので1枚を池田さんのどんぶりに入れ、あたしは頑張って食べたのだ。

この頑張るというのは、熊本ラーメンに限らず、呑んだ後はいつでもそうなのであり、あたしは〆のラーメンを完食したことなど今まで一度もないのであり、酷いときにはスープ一と麺ひとくちで終わってしまう。

今回も少し残したけれど、それでもかなり、頑張って食べた。うまかった! 

こだいこラーメン
熊本県熊本市花畑町13-11-1F
096-352-2058


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※注記

  1. その記憶は写真のように「ある」。それを今「かなしい」※2と呼ぶのもなにかかなしい。
    『それゆえ、「写真」のノエマの名は、つぎのようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》、あるいは「手に負えないもの」である。』 (ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p94)
  2. もしくは『父と母が互いに愛し合っていたことを私は知っている、その二人が並んでいる唯一の写真を見て私はこう思う。永久に失われてしまうのは宝のような愛である、と。なにしろ私がいなくなれば、もはや誰もそれについて証言することはできないからである。そのあとには、もはやただ無関心な「自然」しか残らないであろう。それはまことに痛切な、まことに耐えがたい別離の悲しみであるから、ミシュレはただ一人、彼の世紀の人々に対して、「歴史」とは「愛の抗議」であると考えたのである。 (ロラン・バルト:『明るい部屋―写真についての覚書』:p117)

Written by 桃知利男のプロフィール : 2009年07月18日 20:29: Newer : Older

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コメント

こだいこが移転していますよ。銀杏北通りの市役所近く

投稿者 けい : 2010年06月21日 18:01

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