藻琴の牡蠣 1年物藻琴の牡蠣 1年物


藻琴の牡蠣

午前6時50分起床。浅草は晴れ。サロマ湖の牡蠣の遅れること1日、宮田さんから藻琴湖の牡蠣が届いた。これは3年連続で送ってもらったもので、あたしゃそれだけで嬉しいのだ。

食べ物の記憶というのは、即、人と結びつく強烈さがあるが、オホーツク沿岸からこうして届く2つの別々な場所の牡蠣ほど、強烈な記憶として残る物もないだろう。

藻琴の牡蠣 1年物1年物

先ずは1年物の牡蠣貝を「蒸しかき」にして食べる(本当は生がいいのだろうけども、蒸したほうが楽だしうまいのだ)。

これは3年続けて食べたのだが、改めて食べると、この1年物には「躯体の若さ」とでも呼べるものがあることがわかる。

唇が感じる最初の味は結構深くて驚くのだが、やがて口の中に広がる躯体のもつ若々しさに、さらに驚かさせられることになる。そう、その「躯体の若さ」が、この貝が1年ものの牡蠣であることを証明してくれてくれるのだ。

2年物

一昨年、昨年との最大の違いは、今年は2年物も一緒に送られて来たことだろう。2年物はなんといっても安定している存在感が素晴らしいのだが、藻琴湖産の牡蠣だよ、と身を張るそのクリーミーな身体を躊躇なく口にいれると、汽水湖特有の香りが鼻一杯に広がる。

この香り高さは一体何なのだろう、と思うが、何時も少ない藻琴湖産の牡蠣は、今年は更に少ないようで、その貴重な牡蠣を、あたしはがしがしと何の躊躇もなく頂いたのだ。うまい!

藻琴の牡蠣 2年物藻琴の牡蠣 2年物