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美術手帖 2013年 01月号 特集 会田誠 ”天才芸術家”はいかにしてつくられたか?を読む。

美術手帖 2013年 01月号

美術手帖 2013年 01月号 [雑誌]

特集 会田 誠
”天才芸術家”はいかにしてつくられたか?

美術出版社
2012年12月17日
1600円(税込み)

”天才芸術家”はいかにしてつくられたか

天才(てんさい)とは、天から与えられたような、人の努力では至らないレベルの才能・その人を指し、主にきわめて独自性の高い能力的業績を示した人を評価したり、年若いのにあまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる。

一般に天才といえば革命的な発想からの業績を上げた人を指し、それが歴史や社会に影響を残すに至ったレベルの人物を指すことが多いが、「○○の天才」といったように芸術やスポーツ等様々な分野に一見限定した用法もある。※1

午前4時40分起床。浅草はくもり。美術手帳の最新号を買ったのだが、「”天才芸術家”はいかにしてつくられたか?」の副題をもつこの号の本命は、なにせ「特集 会田 誠」なのであり、会田誠は、なんだか知らないが、凄い芸術家であることは誰もが認める(?)ことだろうが、”天才芸術家”と名付けられると、アイロニーだろう、と穿って思ってしまうのだ。

合理に非業理を突きつけ無償を爆発させる初めて会田誠の作品をみたのは、作品集、『三十路―会田誠第二作品集』のことで、そこに描かれた「非合理」な世界は、分かっていても「非合理」なのであり、それから数々の会田作品をみてきたが、いずれも「非合理」と呼ぶにふさわしいものだった。

本誌の表紙の「おにぎり仮面」も、2012年(つまり今年だ)の「非合理」で、〈考えない人〉と呼ばれている「おにぎり仮面」が、菩薩の半眼で、(たぶん)なにも考えていないのである。

そんなあたしに、おまえは「非合理」が好きなのか、と聞かれれば、あたしははっきり云って好きだけれど、そもそも「非合理」がない世界で、どうやて生きていけばよいのかが分からないのだ。

しかし、その「非合理」ってなにか、といえば、「形式合理性・理論合理性・実質合理性・非合理性・実践合理性・超合理性」の中でも、一切の「産業システム」とは相反する(そもそも非合理的な生産システムなんて資本主義的には存在し得ない)ものであり、すなわち「文化システム」のことだろう。

アメリカの文物が日本に移入される場合は、日本的な文脈のもとで再解釈され、新たな位置づけが与えられる。「マクドナルド化」における形式合理的な要素は文化における一つの要素であって、それは、非合理な情緒的、表出的要素や価値、規範といった評価的要素と併置されたり、統合されたりして全体としての「文化システム」を構築するようになる。※2

生産だけに生きるのも格好いい(たぶん)と思うが、あたしは生産がすべてなんて生き方は、真っ平御免なのであり、かと思えば、最新作の「電信柱、カラス、その他」も、凄くみてみたいので、これは六本木に行かなくてはなるまい、と思うのだが、いったい何時いくんだ、と。六本木にある合理的な地の中の非業理まで、この重い身体をなんとか運ばなくてはならないのは、今も昔も変わらない、アウラを得るための正式な道なのだな。

※注記

  1. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D
  2. 『マクドナルド化と日本』(G・リッツア&丸山哲央(編):2003年11月30日:ミネルヴァ書房)p299

Written by 桃知利男のプロフィール : 2012年12月23日 05:30: Newer : Older

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