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2007年02月17日(土) 

仕事は芸術―ダカーポで中沢新一の連載が始まったこと。

ダカーポ

dacapo-600_s.jpg新千歳空港の書店で「ダカーポ」を購入。

お目当ては中沢新一の新連載「仕事は芸術」。

私はダカーポの熱心な読者であるわけもなく――年に2,3冊買う程度だ――、その雑誌としての性格(対象とする読者層)もよくわからないのだけれども、中沢新一が連載をするような雑誌ではないだろう、というのが正直なところだった。

仕事は芸術

しかし読んでみれば、この見開き2ページのテクストに手抜きはない。

日本人にとって働くことは、喜びであり生きがいであり、また「奉納」でもあり、単なる苦役ではありませんでした。こうした意識や感覚のベースとなっているのは、古代からこの列島に住む人々に脈々と受け継がれてきた思想です。世界的にみても、きわめてユニークな文明形態をつくってきましたが、それは、新石器時代にこの列島に栄えた縄文文化と、それをつくりあげた人々の思想が、堆積物に覆われながらも、根底にはずっと途切れることなく息づいているからです。(p74)

と書き出しは快調であり、これは中沢の思考であることがすっとわかる。そして今後の連載の主題となるだろうものが次に示される。

しばしば外国の人から「日本には思想がない」と言われることがあります。たしかにこの国では、思想を言語化、論理化することを好みませんでした。それよりもさまざまな芸能や歌、物語、庭や仏像、日用品をつくることで表現してきました。つまり、職人や芸人と呼ばれる人々が、思想をかたちにあらわしてきたのです。

挙句の果てに「テクネー」と「ポイエーシス」まで言及してしまう。

芸術とはなにか、ドイツの哲学者ハイデッガーは、次のように考えました。芸術という行為のおおもとを探っていくと、古代ギリシャの人々が「ポイエーシス」と「テクネー」と呼んだ、2種類の力があるらしい。ポイエーシスとは、ポエムの語源で、植物の種が発芽してやがて花が咲くように、自発的にあらわれてくる働きです。「自然」そのものの活動と言えます。一方、テクネーとは、テクノロジーの語源であって、人間がさまざまな挑発や狡知を駆使して内在するものを外側に引っ張りだすことを言います。

たぶん中沢新一ファンにとってはわかりきったことの再生産なのかもしれないが、そのことをどこまで簡単な言葉で表現していくのか、ちょっと楽しみな連載だ。

投稿者 momo : 2007年02月17日 15:00 : Newer : Older

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コメント

 昨年の子規のシンポジウムでも、三位一体の
講演でも(ネットの配信しかみていませんが)、
最近、中沢氏は、芸術や宗教に対する感性の、
日本の独自性を強調されていると思うのですが、
いかがお考えですか?

投稿者 やま : 2007年02月18日 09:27

>やまさま

コメントありがとうございます。

>中沢氏は、芸術や宗教に対する感性の、日本の独自性を強調されていると思うのですが

中沢新一が、というよりも、行動経済学や社会心理学の最近の傾向でもあると感じています。

つまり私たちの脳みその古層にあるもの――つまり私たちの無意識層にあるものは、じつはマイクロチップのように埋め込まれて遺伝していると。
それがある環境においてスイッチが入ってしまう。
つまり人間は白紙では生まれ得ない――我思わない我をひきずって生まれてくる。

芸術にしろ、宗教にしろ、そういう我思わないものが表出してくるということなのでしょう。
それが私たちの場合、「日本人らしさ」というような(まだ曖昧な)ものなのだと思います。

それはかなり自然な発想だと(私は)思いますが、もう少し論理的に、科学的に明らかにされていく必要があるかと思いますし、一般の方々にも理解される必要があるかと思います。

その方向に全体は進んでいるように思います。

投稿者 momo : 2007年02月18日 21:17

 理解しきれているとは言えないのですが、田邊元の「種の理論」に通ずる考え方なのでしょうか?
 ごく身近なことだと、若い頃は何でも自分の意志とか個性とか思っていたものが、曾祖母も同じ趣味だったとか、交流の少なかった伯父が同じものに興味を持っていたとか、「繋がっている実感」みたいなものでしょうか?
 日本というふうに拡大されると、現在の国家とか国境は人為的に決められていることだからどうなの?とも思ってしまうのですが。
 「病理学」の講師をしているので、病気の遺伝の仕組みは理解できるのですが、「日本人らしさ」どうやって伝わっていくのでしょうね。

投稿者 やま : 2007年02月18日 22:28

>やまさん

私は長い間それをミーム(文化子)概念で考えてきました。
例えば日本語という言葉として伝わるものですが、それだけでも不十分で、遺伝子レベルにもなにかあるのかなとは思います。
それを方言のレベルまで分類できるのであれば、それは「種」でしょうね。

今回は面白い話題を振っていただきましたので、後ほど別エントリーで書いてみたいと思います。

ありがとうございます。

投稿者 momo : 2007年02月19日 23:31

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