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2019年03月03日|お知らせ


2007年03月08日(木) 

<学習意識調査>日本の小学生は中韓より「学ぶ意欲」低い。

学習意識調査から

<学習意識調査>日本の小学生は中韓より「学ぶ意欲」低い」(Yahoo!ニュース:毎日新聞)

日本の小学生は中国や韓国の小学生よりも「学ぶ意欲」が低い――。財団法人「日本青少年研究所」(千石保理事長、東京都新宿区)の調査で、学習を巡る子供の意識に日中韓で大きな差があることが分かった。近年、日本の子供たちの学力低下が取りざたされているが、中韓両国に比べ「学力」以前の「意欲」の低さが浮き彫りになった形だ。

目指す人間像の一つとして「勉強のできる子になりたいか」と質問したところ、「そう思う」と答えたのは東京が43.1%だったのに対し、北京78.2%▽ソウル78.1%といずれも7割を超えた。「将来のためにも、今がんばりたい」と考える小学生も、東京48.0%▽北京74.8%▽ソウル72.1%で、日本は将来の夢に向けた学ぶ意欲が低くなっている。/また、「先生に好かれる子になりたい」と答えたのは、北京60.0%▽ソウル47.8%に対し、日本はわずか10.4%。教師への関心や尊敬の念も薄れているようだ。

消費主体としての子供たち

子供たちが、「消費主体」としての自己を確立し、「交換の原理」を優先する心的システムをもつのなら、この結果は当然のことのように思える。

つまり勉強ができるようになることや、将来のために今努力する、そしてそれを提供するサービスに、時間を割くことが、勘定に合わない、という価値判断が働いてしまっているのだろう。

その理由は先に「下流志向。(内田樹)」でも書いたように、子供たちが「自分自身を時間の流れの中において、自分自身の変化を勘定に入れること」ができない、つまり、時間軸の無い、「交換の原理」で価値判断をしてしまっているからだ。

この国の「交換の原理」の節操の無さは、お金さえ払ってくれるなら、どんなに小さな子供でも、「消費主体」=お客様として、神様扱いしてくれることに極まる。(「街的」な店ではそんなことはありえないが)。

それは消費主体にある種の全能感を与える。(「街的」な店では絶対に全能感は与えてくれない)。

そんな全能感を持った人間とは、限定経済学(新古典派経済学)が想定する経済人=合理的に価値判断する人間のようなものだろう。

ただこの「交換の原理」のものさしは、お金(拝金主義)だけではなく、「感情」の「勘定」が占める割合が大きいようにも思える。

合理的な愚か者

まあ、お金にしろ感情にしろ、交換の原理で価値判断をするなら、それはアマルティア・センの指摘を待つまでもなく、結局は「合理的な愚か者」でしかないだろう。

しかしそのことを、(私)を含めた大人は、子供たちに伝える術をもっていない、というよりも、私たち自身が「合理的な愚か者」の道を歩んできてしまったこと、そしてその価値観で子供たちを育ててきてしまったこと、その方が根源的な問題なのだ。

正すべきは、まず(私)自身なのだろうな、と思うのだが。ということで午前7時起床。浅草は晴れ。 

参考

合理的な愚か者

合理的な愚か者

アマルティア・セン(著)
大庭健+川本隆史(訳)
1989年4月10日
勁草書房
3150円(税込)

Tags: 教育

投稿者 momo : 2007年03月08日 09:53 : Newer : Older

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