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2019年03月03日|お知らせ



『私家版・ユダヤ文化論』 内田樹 を読む。

今年の小林秀雄賞を受賞した『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹)を読んだ。

私家版・ユダヤ文化論

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

内田樹(著)
2006年7月20日
文芸春秋
750円+税金



ユダヤ人

私にはユダヤ人はいない。なぜなら少なくともこの本を読むまでは、(私は)ユダヤ人のことを考えたことがなかったからだ。

アメリカ人やフランス人や中国人はいても、ユダヤ人はいない。それで(私の)生活世界は十分に機能していたりするので、50年近く生きてきたけれども、それで困ったことは一度もない。

ユダヤ人的

しかし私の中には、「ユダヤ人的」なものはあって、それはユダヤ人という「私ならざる者」という存在ではなく、私が「公共事業」という名指しの中にいる、と指し示されることで感じる、ユダヤ人的名指しだ。

それには、「土建屋」「地方」「ケインジアン」が意味するものまで含まれてはいるのだが、要は「談合」という言葉に収斂されていたりしている。

談合する者というユダヤ人

今、〈談合をする者/談合をしない者〉の二項区分は多くの日本人のなかに存在している。

そこでは「談合をする者」は「異端」なのであり、「異教徒」なのであり、「ならず者」なのであり、「異形」である、と感じる人々がいる(反談合主義者)(笑)。

彼らの「改宗」の圧力はすさまじく、この異教徒に対しては、容赦のない弾圧が続いている(独占禁止法)。

その「談合をする者」への世間の扱いを「ユダヤ人的」というのは間違っているかもしれないが、たいした違いもない、と(私は)思う。

たしかに「ユダヤ人」への迫害と、「談合をする者」への非難は歴史(時間)が違う。「談合をする者」への批判は、そのうち別の何かに転換するかもしれない(「談合」に変わる記号を持つ)が、「ユダヤ人」にはその可能性はないだろう。

それは「隠されたシニフィアン」(ラカン)のようなもので、つまりはこのようなバイナリー(二項対立)を持ち出すことでしか、わたしたちは現実社会(生活社会)の存在感を得ることができない、ということか。

「昼と夜、男と女、平和と戦争、こういう対立は他にも幾つでもあげることができます。これらの対立は現実的な世界から導き出されるものではありません。それは現実の世界に骨組みと軸と構造を与え、現実の世界を組織化し、人間のとって現実を存在させ、その中に人間が水あkらを再び乱すようにする、そういうことです。」(ジャック・ラカン:ここでは『私家版・ユダヤ文化論』:p54-55から孫引き)。

私家版

まあ、こんな按配で、「ユダヤ人」を語ると、語る人間が出てきてしまう(らしい)。

私たちの語彙には、「それ」を名づけることばがなく、それゆえ私たちが「それ」について語ることばの一つ一つが私たちにとっての「他者」の輪郭をおぼつかない手つきで描き出すことになる。私たちはユダヤ人について語るときに必ずそれと知らずに自分自身を語ってしまうのである。(『私家版・ユダヤ文化論』:p36)

それをして内田先生はこの本に「私家版」という冠をつけている。つまり『私家版・ユダヤ文化論』は、内田樹が「ユダヤ」を語ることで、そこに映る内田樹の自分語りを、読者が聞いている(実際には読んでいるのだが)、というようなものだ。

だからそういうなものが好きな人には、面白く読めるかと思う。(語彙というか教養というか、そういう読書の前提は、かなりのものが要求される、とは思うけれども)。

そして私のような「ユダヤ人」はいない、等といっている能天気なオヤジの、「ユダヤ論」学習入門書にもよいかもしれない。第二章「日本人とユダヤ人」、第三章「反ユダヤ主義の生理と病理」あたりは読み物としても面白い(私は退屈しないで羽田―札幌間を往復できた)。

ただ、私は、死ぬまで「ユダヤ人」はいない、といっていたかったので、その意味では、読まなきゃよかった、と思っている。この責任は江弘毅にとってもらうしかないわけだが。(笑)

Tags: 内田樹

Written by 桃知利男のプロフィール : 2007年09月08日 20:49: Newer : Older

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コメント

責任者の江です(笑)。
しっかし、いつもおもろいこと言いまんな。
岸和田はそろそろ祭りです。
浅草もええですが、こっちの方もよろしくです。

投稿者 大阪・江 : 2007年09月11日 15:32

>責任者の江さん(笑)

岸和田のお祭りは

怖くて

近寄れませんがな。(笑)

投稿者 momo : 2007年09月13日 11:03

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