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2019年03月03日|お知らせ
てつがくこじんじゅぎょう 哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門 (木星叢書)を読む。
てつがくこじんじゅぎょう 哲学個人授業-<殺し文句>から入る哲学入門 (木星叢書)
鷲田清一(著) 永江朗(著) |
午前8時起床。浅草はくもり。これは江弘毅からもらってきた本で、電車の中で読んでいる。江も内田先生も二回ほど乱入していたりするのだが、その二人が乱入してくる「レヴィナス」のところを読めばこんなかんじだ。
内田 そう。ここがグッとくるところです。
永江 難解ですね。ぜんぜん意味がわからない。
鷲田 悶絶ですね。
内田 そうです。全員悶絶です。私もわからない。何を言っているのか、まったくわからない。
と読む者を安心させる。鷲田先生も内田先生も永江さんも江も悶絶してみせる。そこであたしら読者は「あーそうか、なんだかわからなくてもいいんだ」と安心するのである。
しかし読み進めていけば、そのテクストはいつのまにかに核心へと向かうのだ。それはトリックスター的かもしれないし、啓蒙であるかもしれない。しかしなによりも変換である。「わからない」がだんだんと「わかった」ような気になってくる。
人間は「なんだかわからないもの」に出会ったとき、二つの行動を選択しうると以前書いた。
-
「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする
-
無視する
ふつうの人は「無視する」を選択する。「わからないもの」は「わからないもの」なのであって、なぜそれが「わからないもの」なのかと言えば、それは「わからないもの」だからであって、そんな「わからないもの」を「わかろうとする」必要は自分の生活にはないのである。
だから哲学なんていう「なんだかわからないもの」は無視される。つまり皆さん哲学書を読まないし哲学もしない。なぜならそれは(自分の生活では)無視してもいいものだからだ。
しかし哲学というのは〈1〉を選択してしまうことなのだ。「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする。それは絶対にプロセスとしてしか存在できないものだから時間がかかる。その上とりあえずの人生には何の役にもたたなかったりする。
そんな役に立たないものを時間をかけてただ黙々とやる人は、この交換の原理が強烈な時代にはヘンな人でしかない。だから哲学する人はヘンな人のように見えるのである。
鷲田 それにしても、哲学の本って不思議やね。普通の本は100%わからないと損したような気持ちになるでしょう? 実用書なんて、特にそうですね。小説だったら、全部はわからなくても、半分ぐらいわかればまあまあ許せるか。でも、哲学書だったら、最初に呼んだときに一割もわかったら許せるでしょう。
内田 いや、一割わかったら簡単すぎる。金返せって言いたくなりますよ。
永江 じゃあ、実用書のように九割もわかったら?
内田 そんなの本じゃない。
というようなヘンな人達がしゃべっているこの本は哲学書ではない。<殺し文句>から入る哲学入門である。入門書であるということは、「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする方法の入門書なのである。
つまりそれは「なんだかわからないもの」を無視しないための入門書なのであって、だからわかりやすいように書かれているし、読めばたぶん四割ぐらいはわかるような気がする。
四割打てば文句なしの首位打者である。だから金返せ、とは言われないだろうが、それよりも大事なのは、無視しない方法がちょっとでもわかったように思えたら、それを実践してみることなんだろうなと思う。実践と身体で理解すること。この本に出てくる人達は、それを繰り返してきた人達なのだからね。
Written by
: 2008年06月22日 10:19: Newer
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コメント
桃知さん、関西にこられていたのですね。
三十三間堂のあたりをたまに通ることがあるのですが、あの店はまったく知りませんでした。
さてこの哲学入門ですが、レヴィナスのところ、爆笑ですよね。
悶絶した経験があるので、私も安心しました。
以前、哲学科に行きたいといって親に反対され、
哲学書を読んでいるといって友達にスルーされた事があるので、この記事を読むと、励みになります。
また取り組んでみようという気持ちになりました。
私にとって桃知さんのテクストは時に悶絶モノです。
(もちろん良い意味でです。)
これからもひとつ悶絶をよろしくお願いします。(笑)
投稿者 コーギー : 2008年06月24日 21:42
>コーギーさん
浅草は雨の日曜日で、往復書簡に悶絶もんのテクストを書いて過ごしていました。(笑)
しかしなによりも書くこという事態が悶絶なんですわ。
投稿者 ももち : 2008年06月29日 15:28
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