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2019年03月03日|お知らせ
悪党の生き方―亀田家の生き方、もしくは後ろ盾。
落ちてゆくときの怖さは、どうだろう。
戦さに敗れ、命からがら落ちてゆくときの怖さはそれを味わったものにしかわからない。惨めさよりも、悔しさよりも、四方八方から追いつめられているという恐怖心だけが全身をとりつつみ、胸は破裂しそうなほどに高鳴りつづけている。(引用:秋月達郎:『村重好み――耀變天目記――』)
午前6時30分起床。浅草はくもり。亀田家が置かれた立場というのは、こういうものなのだろな、と(私は)思う。つまり、今の「公共事業という産業」とたいしてかわらない。
悪党とテレビ共同体
私にとって、亀田家はボクサー一家というよりも、TVの世界に棲む芸人一家である。
芸人は、そもそもは、非社会的な民であり、悪党である。
しかしその悪党が自らの芸をもってテレビの中で生きると、世間にとっては最も身近な円環(TV共同体)の住人となる――そのことで悪党である芸人は世間並みに扱われる。
テレビがつくる仮想的な円環は、今や、われわれにとっての(仮想的な、心的な)ムラ社会であり、忘れることのできない贈与共同体の機能等価物として機能している。
それはウェブの世界とたいして変わらないわけだ。[世界で最も多いのは日本語ブログなのだがそれは当然のことだろうな。]
ただテレビでは、見られる者に匿名性はなく(見ている者にのみ匿名性は保証される)、晒しとゴシップに溢れることで、われわれが現実社会で失ったムラ社会的な心理を充足させようとしている――他愛も無い井戸端会議という円環モデルとしてね。
ムラ社会の掟
そんなムラ社会で芸人が生き残ろうとすると、ちょっとした工夫が必要になる(そもそも悪党としての芸人はムラ社会の外の存在なのであるから)。
それは、悪党性はあくまでも「芸」の内にあり、ムラ社会的にはむしろ規範的な存在でなくてはならない、という暗黙の了解だ、と(私は)考えている。[テレビという共同体と芸人の進化的戦略―加護ちゃん引退。]
それは、今という時代の衆人の持つシニカル性(楽屋落ちを知っているのでございますよ)故なのだが、つまりTVで見せる悪党性とは「芸」でなくてはならず、裏にまわれば、あの人は本当はいいひとなのよ、という了解(期待、信頼)を壊してはならないということだ。
大衆は、いったんこのシニカルな視点を裏切られると、くるりと手のひらを返すのである。世間は、悪党が悪党として表の世界でのさばることを絶対に許さない。だからこそ、悪党としての芸人は、元々が非社会的な民なのである。
いったん攻撃の対象をみつければ、シニカルさを忘れ、ヒステリックに対象を攻撃する。それを助長するのもまたTVであるのは、それが嫉妬心渦巻くスパイト行動でかたちづくられたムラ社会でしかないからだ(つまり村八分)。
後ろ盾
悪党が普通の社会で成り上がって失敗するとき、そこには一般理論のようなものがあるように(私は)思う。それは成り上がり者が必ず出くわす罠のようなもので、全ては己の力で成り上がった、という勘違いだ。
悪党が成り上がるとき、そこには後ろ盾が必ずあるのである。後ろ盾には企業スポンサーも居ればテレビ局もあるだろうが(建設業の場合、議員先生、首長、役所などを比喩的に思い浮かべることができるだろう)、封建社会ならいざ知らず、今の時代に忘れてならないのは、本当の後ろ盾とは、大衆、衆人、市民社会――つまり純粋贈与、見返りを求めず応援している人々――であることは、今更指摘する必要もないことだろう。
しかし悪党はすぐにそのことを忘れてしまう。
なんとも愛すべきオバカサンだとしか言えないのだが、まあ、亀田家もその例外ではなかったわけだ。オバカサンは後ろ盾を失ったのである。
そのとき自分の空虚さがわかる。
四方八方から追いつめられているという恐怖心だけが全身をとりつつむ。
私はそういう経験を何度か繰り返してきたオバカサンなのである。例えば[桃論―中小建設業IT化サバイバル論|Lesson3 私の身の上ばなし(2)―私の革命]を参照。
そういう私から言わせていただくなら、現状、亀田家は、落ち込むだけ落ち込むしかないだろう、と思う。一緒になって批判する気にもなれないし、ましてや、頑張れ、等と言ってもしかたがない。
なぜなら亀田家もまた「欝」であるからだ。[元気のないことについて―2007年10月5日南九州三県合同勉強会での使用PPT。]
そして彼らを救うものがあるとすれば、それもまた後ろ盾でしかない、ということだろう(それは公共事業という産業も同じことだ)。
Written by
: 2007年10月19日 12:18: Newer
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コメント
「公共事業でそんな太りやがって」
北の辺境地で土木コンサルとして働いている人間に
投げかけられた言葉の一つです
173cm/90kgなのも悪いんだろうけど
これに抗うことはできんのでしょうね・・・
私は悪党なのか、あっちが悪党なのか・・・
投稿者 辺境地のコンサル : 2007年10月19日 14:14
>辺境地のコンサルさん
コメントありがとうございます。
スパイト行動(と言うか嫉妬)というものにとりつかれると面倒なものです。
正論もなにもないわけで、ただ〈対象〉として消費されます。
いじめの対象とか、話題の対象とかですね。
本来、芸人や興行(プロ・スポーツ)は、その機能代替を我々に与えてくれるガス抜き装置のようなものなのですが、TV(マスコミ)が共同体になってしまうと、どうも洒落になっていませんね。
同じ文脈で、公共事業もいじめの対象になったままなんですよね。
投稿者 momo : 2007年10月21日 14:22
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