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2019年03月03日|お知らせ



首相が一晩で何万円もするような店で飲むのは庶民感覚とかけ離れているのか。

首相「ホテルのバーは安い」 連夜の会合批判に反論

 「これまでのスタイルだし、変えるつもりはありません」。麻生太郎首相は22日、側近議員や秘書官らと連夜のように高級レストランやバーを「はしご」していると記者団に指摘され、こう強調した。

 記者団が「一晩で何万円もするような店は庶民感覚とかけ離れている」と水を向けると、「ホテルは安い所だと思っています、正直言って」「たくさんの人と会う時にホテルのバーは安全で安い」などと反論。

 さらに「周りに新聞記者や警察官もいる。安い所に行って営業妨害って言われたら何て答える?」と問い返し、「聞いてるんだよ。答えろよ」と詰め寄った。代金は「幸いにして自分のお金あります。自分で払ってます」と強調した。(22日 22:15) NIKKEI NET

「一晩で何万円もするような店は庶民感覚とかけ離れている」とインタビューしてしまう記者は、かなり脳みそが庶民感覚からズレているのじゃないだろうか。それは「嫉妬」なわけで、マスコミは庶民の基本心象は嫉妬なのだと思っているところがある。

そういう世論形成の仕方こそが「嫉妬の政治」(例えば小泉さんのやったテレポリティクス)を生み出すのであって、あたしは「嫉妬」なんてものをトリガーとして持ち込もうとする、あらゆる政治・経済学的立場を容認する気はさらさらない。

庶民感覚ってなんだろう

庶民感覚ってなんだろう。庶民であるあたしは、首相はホテルのバーで飲んでもらって結構なのである。飲み食いなんてものは最初からフラットなのであって、「街的」には「高い店」も「安い店」もない。

ただ、(あたしにとっての)「いい店」と「悪い店」があるだけのことであって、麻生さんが使っているバーは、麻生さん的に「いい店」なんだろう(たぶん)。それを「高い店」というものさしだけで、麻生さんに庶民感覚がない、というのは、それを「街的」にはいなかものというのだ。「街的」には、(あたし的には)いい店じゃないから(あたしは)いかない、でいいのである。

麻生さんも大人じゃないな

けれど、麻生さんも大人じゃないのもたしかで、彼のスーツ姿は大人的に格好いいし、ホテルのバーで飲むのも大人の流儀だけれど、答弁がいちいち子供っぽいのである。それで損しているところが多いとは思う。

今回の件は「いい店だから、あなたも一緒に一杯どうだい」で済んでしまうようなことで、麻生さんにはそういう洒落た答弁がない。庶民感覚的にいえば、まるっきし近所のオヤジなのであって、ますます(庶民感覚的には)いいのであるが、首相はそれ(庶民感覚)じゃ務まらないだろう。

大人であること

アイビーボーイ大人というのは、自ら「街的」とか「町内会」とか「部分社会」のルールに縛られて生きることを決めた人のことなんだろうと思うのです。

(略)

大人になるということは、単に縛られるのではなく、逆に〈他者〉を縛る自由を得ることなんだと思うのです。つまり「街的」「町内会的」に小僧を縛る自由です。基本をたたき込む自由です。from 「金融資本主義が日本の大人をダメにした。」|140B劇場-浅草・岸和田往復書簡

麻生さんは、どこかで縛られてこなかったところがある(たぶん)。それは「金融資本主義が日本の大人をダメにした。」にも書いたけれど、そんなことを今更にいうのは、最近のあたしの個人的思考テーマは、「どうして私は大人になれないのだろうか」だからだ。

クルーグマン教授じゃないけれど、最近の金融危機のドタバタを見ていると、ほんとに「大人はどこへ行ったんだ?」なのだが、けれどもそう思っているあたしも、歳はくっても、ぜんぜん大人じゃないな、と思う今日この頃なのである。

クルーグマン教授の大人の定義は「ちゃんと責任がとれるのかっていうことだ」。けれどもそれが、昨今強調されてきた「自己責任」でしかないのなら、「なにが起きても他人(ひと)のせい」にしかなれないことは昨日書いた。

だから金融資本主義界隈(というか何でもお金で解決がつくと思っている人)には大人はいない。ネオリベは、最後には責任放棄をして万歳をするしかないヘタレでしかなく――日本の小泉さんもあんなものである――、米国の金融危機で、ウォール街の金融関係者の誰も責任はとらない。責任はすべて納税者に押しつけられている。これが新自由主義のいう「自己責任」の正体なんだろうが、それはなによりも基本がないことから生じている(たぶん)。

 米金融コンサルティング会社セレントのロバート・エリス氏は、投資銀行や企業は根本的に誤った金融行動を取ったと語る。「短期の借り入れで長期の融資や投資をしてはならない」という基本原則を破ったのだ。各社は長期債務の資金源を短期資金に頼っていた。危機が表面化して短期市場への資金供給が凍結すると、そうした金融機関は深刻な資金不足に陥った。

 さらに根本的な誤りはリスクを過剰に取りすぎていたことだ。大きなリスクを取ることで取引参加者は巨額の利益を期待できるが、金融システム全体を危険に晒すことになる。

 ついに問題が明白になった後も、声を上げようとした者はほぼ皆無だった。皆、ほかの賢明な誰かがよい対処方法を理解しているとでも考えたのかもしれない。from 金融危機の犯人はいったい誰だ:NBonline(日経ビジネス オンライン)

過去の栄光がいつまでも続くとは信じない懐古主義者

閑話休題。あたしがなりたい大人とは、真性の保守主義者を上書きでる自分である。それは「本当の保守主義者とは将来に備えて節約し、支出は収入の範囲内にとどめ、とりわけ過去の栄光がいつまでも続くとは信じない懐古主義者」(@ディヴィッド・ハルバースタム)なのであって、まあ、金融資本主義界隈には絶対にいない人のことだ。

「過去の栄光がいつまでも続くとは信じない懐古主義者」というのは後ろ向きのフレーズでしかないけれど、放っておけば、浪費を繰り返し、前しか見ない(夢しか追わない)あたしには、丁度いい上書きである。 

こういう大人は、「街的」や「町内会」的にはいたりするのであって(全てがそうではない。たまにいる程度だ)、あたしはお金儲けは好きだけれど、金融資本主義は嫌いで、「街的」や「町内会」は好きだ、といってきたのはそのためだ。

しかし(あたしが大人だなと思う)彼(女)らは、既に高齢であって、ほぼ絶滅危惧種だったりしている。「街的」にその跡を継ごうと決めた(いちおう)あたしは、まだまだ大人になれないでいる。つまり基本が足りないのである。そういう点でいえば、江弘毅はあたしよりもずっと大人だなと思うのだな。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年10月23日 10:44: Newer : Older

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メディアの没落と情報格差 from 阿川大樹のつぶやきの壺焼き (2008年10月26日 21:55)  麻生首相が頻繁にホテルのバーに行っているということを、ぶらさがり取材をした北海... ...

コメント

池田信夫は自分のブログのコメント欄でこう書いていた、これが本当のところだろう。
「いい忘れたが麻生首相に庶民感覚がないことは言うまでもない、昭和30年ころに祖父の吉田茂から1千万円もらって京都は祇園で遊んで来いといわれたのは、久米裕でも知ってる有名な話だ。僕らにとって「高い」とは銀座の特別なバーや料亭で、1晩で数十万円かかる場合で、バーが安いのはいうまでもない。

こういう感覚があるから景気対策も思い切ってやり易い。いわゆるサラリーマン(正規雇用者)の経済状態などは、正直よくわからないので斟酌しない。例えば彼らにとって月数万円の税金などの上昇は高いのか安いのか、難しいのだ。だから景気対策とは所詮イメージでしかない。

だから庶民感覚が彼にあるか否かなど、所詮到底一生浮かび上がれない安サラリーマンが親しみを持って投票してくれる為のキーワードなだけで、本質はどうでもいいことだ。」

この辺りが本当だろうね。麻生首相にとって水割り1杯3000円の高級バーが安いのは当たり前、一方圧倒的多数の正規雇用者である普通のサラリーマンにとってそれが高いのは常識だ。そんなものは麻生に聞くまでもない。

ただ問題は麻生がその高級バーでの飲食を「安い」とこだわる事だろう。彼は23日も言及し、「帝国ホテルの高級バーは誰でも行ける安いところ」にこだわっている。麻生が正直な感想を述べているのは誉めるべきだろう。しかし、そんな常識ではたして、経済対策ができるのだろうか?帝国ホテルでほぼ毎日飲食するのが、日本の普通人でそれに合わせて経済対策をするというなら・・・・・

残念ながら私は普通人ではないので、麻生氏の政策に期待できない。

投稿者 naomi : 2008年10月24日 17:12

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