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2019年03月03日|お知らせ



テレビの取材を受ける―なぜに煮込み通り(ホッピー通り)は人で賑わうのか?この消費不況の時代に。

ホッピー通り(煮込み通り)午前7時起床。浅草は曇り。北海道から帰ってきて、2日にわたってテレビの取材をうけた。

お題は「なぜに煮込み通り(ホッピー通り)は人で賑わうのか?この消費不況の時代に。」である。

それをあたし的に云ってしまえば、ここはアジールだから、で済んでしまうのだけれども、そこはもちろんTVであり、ましてやこの番組の対象は主婦である。

であればそんな語彙が使えるわけもなく、自分の言葉の翻訳の面倒臭さに、あたしはすっかり居酒屋浩司で酒を飲むただのオヤジになっていた。

それで結局なにを話したのかと云えば、以下、昨年『大阪おいしいROJI本※1 に書いた、浅草の集客の仕組み※2 +欲望としての「街的」である。たぶん全然伝わっていなくって、あー、「街的」を書くには、ちょっと根性が要るで、と江弘毅は云うのがよくわかった二日間だった。

路地のある街は、なぜ「幸福」なのか。

桃知利男

 都市論的に言えば、「路地」とは街を安定させる文鎮のようなもので、路地のない街は総じて不幸である。しかし路地は路地だけで路地であることはなく、必ず中心を必要とする。哲学者ロラン・バルトは四角形の網状の都市(たとえばロスアンジェルス)は「中心がないことで深い不快感を生む」と言ったけれど、中心とは「そこを夢み、そこへおもむきそこから取ってかえす、一口にそこで己を発見する一つの完全な場所」のことで、たとえば私の住む浅草なら、その中心は関西の方々にも有名な浅草寺である。

 浅草寺はバルトのいう西欧的な充実した中心ではないが、セクシャルなメタファーに満ちた日本の典型的な中心である。銀座線浅草駅を出た参拝客は、女性のメタファーである雷門をくぐり参道(産道)を本堂(子宮)へと向かう。しかしご本尊である観音様(卵子)を見た人なんぞいないのであって、五十年に一度のご開帳でも「見たら目がつぶれるのよ」のべらぼうさ。そんな空虚な中心に辿り着いた精子(参拝客)は受精に失敗することで仮想的な死を体験する(タナトス)。しかしお参りを終え再び雷門を出るとき、そこには穢れを落とした新しい自分がいたりするからありがたいのである(エロス)。

 浅草寺(に限らず多くの寺社仏閣)は、こんな〈エロス/タナトス〉の仕組みを孕むことで中心性をもつのだが、しかしそれだけで街場の中心であり続けることはできない。中心が中心であるにはもうひとつの仕掛けが必要なのである。それが路地という迷宮である。

 ご存じのように浅草寺の参道は直線で、長さは約250mある。しかしその参道の両脇にひしめく約90の店でできた仲見世が、その直線を歪めているのである。そこには揚げ饅頭から人形焼、果ては外人相手のナイロン製のキモノまで、考えられる限りのガシェットが並べられ、参拝客が真直ぐに中心(本堂)へ向かう邪魔をする。つまり仲見世は直線である参道をあみだくじのように折り曲げ、さらにはそこからつながる路地へと誘う迷宮の入口なのである。この迷宮に迷い込んだら最後、目指す本堂はどんどん遠くなるのだが、しかし誰もがそれを楽しんでいたりする。

 そんな迷宮としての路地がフラクタルに広がることで浅草は出来ている。浅草は街じゅうの店が総出で中心へと向かう直進性を歪めているのである。しかしそのことで浅草寺の中心性はさらに高まり、街はますます迷宮化し、曼荼羅化し、人々を魅了する(吉原は究極の迷宮である)。しかも浅草の路地には塀がない。全ての通路(路地)はどこの家(店)からも丸見えであることで、犯罪発生率は驚くほど低いというバルト納得のオマケまでついている。

 毎日自宅と会社を往復している生活は、路地に入り込まないことで中心がないのだ。それはバルトのいう不快感とはいわないまでも退屈な日常である。そんな退屈さに飽いたら路地へ出かけてみよう。そこは直進するあなたの邪魔をするあみだくじ、迷宮と曼荼羅の生み出すワンダーライン。古いあたなをそっと受け止め、新しいあなたを生み出してくれる素敵な迷宮なのである。※3

※注記

  1. 『大阪おいしいROJI本』―あたしも少しだけ書いている。 参照
  2. もちろん此は編集の手が入る前のもので、フラクタル、エロス/タナトス、なんて言葉は使用禁止なのである。観光案内なんだから。
  3. つまりこれは、浅草寺の子宮的構造のことなんだけれど、11月14日:空知建協:地域再生セミナーでの講演用PPT もご参照ください。特にそのPPTを。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2009年02月03日 08:02: Newer : Older

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コメント

ももちさん、おはようございます、

すばらしいですね。ぜひ放映のあかつきには拝見させていただきます。

投稿者 ひでき : 2009年02月03日 09:56

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