桃知商店よりのお知らせ

『大阪おいしいROJI本』―あたしも少しだけ書いている。

大阪おいしいROJI本
大阪おいしいROJI本 (JTBのMOOK) 648円+税


午前中、140Bの大迫さんから『大阪おいしいROJI本 (JTBのMOOK)』が届く。なぜ「届く」のかといえば、あたしも少しだけ書かせていただいているからで、題して[路地のある街はなぜ「幸福」なのか。] 

ようは浅草の子宮的構造のことなんだけれども、なぜあたしが、場違いな大阪本に書いているのか、といえば、たいした理由があるわけもなく、ただ、あたしが「路地」生活者だからだろう。

あたしは「路地」教の信者であって、だから裏浅草に棲んでいる。裏浅草は、路地がフラクタルに広がってできていることで、直進性を歪めている。そんな歪んだ次元の真ん中にあたしは棲んでいるわけだ。

台東区の名誉のために言っておくが、道は一応(物理的には)ほぼ真っ直ぐではある。ただ、そのほぼ真っ直ぐに密集する店々が、この街に住む者の、そしてこの街に迷い込んで来た者の、直進を許さないのであって、それを迷宮と呼ぶのだ。

その迷宮が深ければ深いほど中心性は逆に高まる。だから、毎日自宅と会社を往復している生活は、路地に入り込まないことで逆に中心がないのである。

たぶん中心のぼけた生活はパサパサだろう。可愛い奥さんと子供のために、なんて言っても、そんなもの10年もてば万歳なのである。人生は長い、人は歳をとる。路地の無い街は、中心(家庭)がぼけることで、不幸なのである。 (そういう方は時として、迷宮に迷い込んだまま帰らない、ということもある……あたしか)。

ロラン・バルトいわく、四角形の網状の都市(たとえばロスアンジェルス)は「中心がないことで深い不快感を生む」のはこのためだ、と(あたしは)思う。 そういう街はヘンな犯罪も多い。浅草は犯罪は多いけれども、ヘンな犯罪はない。子殺しもなければ、駅で突然切りかかる奴もいない。路地のある街は、街が安定するのである。

大阪おいしいROJI本 (JTBのMOOK)』を読む、というよりも眺めれば、そこは迷宮の嵐である。いそがしげなレイアウトにもかかわらず、なにか誌面に安定感があるのは、迷宮の店々のおかげである。しかしこの迷宮、路地免疫の無い方なら、行ったまま帰れないかもしれない、というような迷宮ではある。

しかしそれは、ミシュランとは違う、生活者のエネルギーに溢れている店々であることで、あなたの明日を生きる活力の源となってくれることだろう。140B、さすがである。

「大阪おいしいROJI本-気になるあの路地40本ハズレなし-」発売! from 編集集団140Bブログ に大迫さんの紹介記事があるので「あわせてよみたい」なのであるな。w

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Comments [2]

No.1

桃知さん、
今回のエントリー、
一行一行めっちゃおもろかったです。
(いつも面白いですけど。)


明日、「大阪おいしいROJI本」迷宮に行ってきます。
パサパサにはなりたくないです。
(路地免疫はあるのでだいじょうぶ。なぜならここで接種したから。)

No.2

>コーギーさん

大阪の路地もいいですね。
あたしは(今晩も)浅草の路地に消えていきます。(笑)

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