20100913.jpg午前7時起床。浅草はくもり。あたしの人生、書く事へのこだわりで出来ている(、かもしれない)。

書くと云っても、ペンで紙をなぞる様なものではなく、もっぱらタイプしているのが常なのだが、去年脳梗塞で倒れたあとも、3日間ほど休んだだけで、とにかく何か書こうとしている。

8月10日(入院して4日目に)ブログを(入院後)はじめて書いた。

この日のことは、今でも記憶の片隅にある。

書いたあと、パソコンを訳も分からずいじくり回し、設定をめちゃくちゃにしてしまった(MovableTypeの設定を何カ所か消したのだが、それを復旧させたのは半年後である)。


そして今読んでも哀しいくらいに率直な2行がそこに残っている。

8月10日(月)。起床は6:30起床。病院に入院して4ヶ目です。

9月に予定しました12日の縁日は予定どおりにおこないます。

その頃のあたしのブログは、なせか1日のアクセス数が5000を越え(今は2500程度だ)、一体何が起きているのか訳が分からなかった。同じように分からないのが、当時の文章だ。

しかし今ではほぼ普通に(読める)文章は書けるけれど(それでも全盛期の75%程度であるが)、当時と同じ文章だけは書けないのだ。

3週間程も前に、ふとこれは私の手元にやってきて、ずっと側に有るかのように、まるで子供の頃からの物のように、私の手元に、なれていた。

そう言えば、こうしていえるのは、二度と見えないものばかりだ。  2009年8月31日「入院当初」

これも、文書を打たずにはいられなかったあたしの「かなしい」注1 ではないか、とは思うけのだけれど。

※注記

  1. かなしいというのは、痛いとか苦しいとかそういうものでなく、それは「誰かと別れること」や「何かをあきらめること」の必然的で根源的なかなしさです。そのかなしさが、わたしら街的人間をタフにするのでしょう。 「都会」に住むのと「街」に住むのとは違う。そこを分からんとなぁ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡