11月14日:空知建協:地域再生セミナーでの講演用PPT

11月14日、地域再生セミナーで使用したPPTをアップしたのでご自由にお使いください。

浅草の子宮的構造

IMG_0333-s2048s.jpgまず会場を暖めるために、「浅草寺の子宮的構造」をベースにした艶噺からはじめてみた。これは私的には、けっして新しいものではないのだが、今回のセミナーにご参加いただいた皆様の多くははじめて聞く方が多かったようで、それなりに楽しんでいただけたように思う。

この艶噺を[浅草を日本人の人情が残っているとか云うけれども…、]へオチをつけうることで、山岸先生の行動経済学につなげていうこうという魂胆だったのだが、まあまあうまくできたとは思っている。ただそれは、理論ではなく、藝なのであって、説明は不可能。あの会場で、あの空気の中で、実際に体験してもらわないことには、私にはどうしようもないのである。

日本人は利他的なのか ?

「日本人は利他的なのか ?」というの問いは、この後の対談にもつながるのだが、要点だけを書いておこう。

私は日本人は物凄く「利己的」なのだと考えている。しかし互酬的利他性(それを私は「贈与の原理」で理解している)には秀でていたわけで、それはそうすることが進化的には有利な戦略(ESS)だからだろう。

つまり互恵性――「もちつもたれつ」や「おたがいさま」――は、わたしたちの心的(内的)なシステムとしては弱いものであるが、それは進化的には弱い。なのでそれを補うように、わたしたちが外部につくった社会システムによって担保してきた――それが山岸先生のいう「安心」だろう――。

わたしたちは、その安心のシステムで強い利己性にブレーキをかけることで、利己性をコントロールし、進化的に有利になるようにしてきた、というのが私の理解である。

だから、日本人は利他的なのか、といえばそんなことはなく、「もちつもたれつ」や「おたがいさま」が機能する社会システム(環境)があるからこそ、われわれのもつ利他的な脳の記憶(マイクロチップ)――利他的であるほうがきもちいい――にスイッチが入るのであり、日本人は互酬的利他性(集団主義的)に行動するのだと考えている。

だからこそ「もちつもたれつ」や「おたがいさま」が機能する社会システム(環境)――それを私は伝統的な共同体性、つまり地域や中景やパトリと呼んでいるわけだが――を破壊するのであれば(つまりこれが「構造改革」だよ)、それを肩代わりする制度が必要なのであろう。

しかしその制度もないまま――というか今の制度は殆ど後追いであり、後出しジャンケンのようなものだろう――、伝統的な共同体性が破壊されるのなら、(それはある意味無政府状態のようなものであり)われわれはますます利己的に行動してしまうのであり、それは進化的には悪い選択ではないのか、というのが私の認識なわけだ。

山岸俊男先生の研究と公共事業という産業の関係

たしかに山岸先生のいっていることは難解であるかもしれないが、自らが理解しにくいものが世の中のために役立っていないと考えるのは、やめたほうがよろしいだろう。

このことについては以下を参照していただければ幸甚である。

経済成長至上主義の人たちは自分の立ち位置の微妙なずれに気付いていないのだろうか。

つまり、公共事業という産業は政策的に追い詰められているけれども、その政策は、古い経済人仮説に基づいた経済学がベースになっているということ。これ以上の説明は不要だろう。