技術的に偶有性を高める
私がこのブログで実験的に取
それを現時点で反省すれば、その目論見はある程度成功しているといえるだろう。たとえば以下は、昨日(4月29日)の検索結果から先頭に「浅草」キーワードをもつものの集計である――トラックワードによる。
桃知利男の浅草的ブログ
午前6時起床。浅草は晴れ。
毎年この時期になると決まって、せき、鼻水、喉の痛みに悩まされる。今年は今がピークであり、これといった特効薬もないので、サプリメントと葛根湯やその他の飲み薬でごまかしているが、なぜか鼻水だけはとまらないのである。花粉症の一種かなとも疑ってみたのだが、北海道でも症状は変わらないので花粉症ではないのだろう。
毎年三社祭の頃になると回復するのが常なので、まあ友達だと思って付き合うしかないのだろうね、と諦めていたりするのであるが、(たぶん)根本的な体質改善が必要なのだと思う。まあそれが私にとっては一番難しいものだのだけれどもね。(笑)
午前5時起床。浅草は晴れ。
昨日は、岩見沢の馬渕建設さんでBeing Digital――というよりも「The Habit of Being:存在することの習慣」だろうね――な勉強会であった。
最初はなぜか、まにあ・1号の話からスタート。一昨日、突然「しゃべらせろ」と割り込んできた。特に断る理由もないし、なにを話すのか興味があったので、しゃべってもらうことにした。
彼は最近になってブログを始めたのだが、ブログを書くことでわかる偶有性の存在と自己の指し示し、というような哲学的な話であった。
彼は、他者からの自分の定義と自己による自己の定義が違う、ということに最近気が付いたらしいのだが、私から言えばそれは、単なる情報発信不足でしかなく、つまりは二クラス・ルーマンの 「〈情報/伝達〉の差異の理解」というコミュニケーション定義に忠実なだけである。
情報を発信することで、他者は〈情報/伝達〉の差異を理解する。そのことで、コミュニケーションはオートポイエーシス的に再生される。つまり情報を発信し続けるという「The Habit of Being:存在することの習慣」。
たぶんブログ化で彼はそれを感じることができたのだと思う。特に彼は Web2.0 meme のいう タグ:Taggingの面白さを実感しているようであったが、まさにそれは自己による「指し示し」でしかない――ことで差異を孕む――ことでコミュニケーションの再生産性をもたらす。
午前5時45分起床、岩見沢は雨。
昨日の移動中に読んでいたもの。
高校生意欲調査:「出世意欲」、
日本は断トツ最下位
日本の高校生は米中韓の高校生よりも「出世意欲」が低いことが、 財団法人「日本青少年研究所」( 千石保理事長)の「高校生の意欲 に関する調査-日米中韓の比較」 で分かった。「将来就きたい職業 」では、公務員を選んだ高校生が 日本では99年調査より約22ポ イントも減少するなど、米中韓に 比べ、明確な目標を持てない日本 の高校生の実情が浮かんだ。(毎日新聞 2007年4月24日 21時40分)
財団法人「日本青少年研究所」のサイトでは、調査概要(PDF)が公開されているので、それをダウンロードして読んでみた。それによると、調査内容は以下の通りである。
・調査内容
① 進路と希望
② 若いうちにやっておきたいこと
③ 生活意識と人生目標
④ 職業意識
⑤ 偉くなることについての考え
⑥ 自分の特徴や心情
⑦ インタネットの利用
⑧ 授業風景と学校生活への考え