午前4時30分起床。浅草は曇り。今朝は岩見沢へ向かう段取りで忙しいので、「森永卓郎:ネットカフェ難民がスラムをつくる日」を紹介だけしておく。これは寄せられているコメントも是非読んでほしい。続きはまた書く。
追記: 私はネットカフェ難民と呼ばれる方々の存在を初めて知っとき、それは現代の「山谷」だな、と思った。それは森永も同じらしい。
自分の家が持てず簡易な宿に寝泊まりし、仕事が見つかったときだけ働きに出る ―― これは、ドヤ街と呼ばれた地域の簡易宿泊所で寝泊まりをしていた、主として日雇い労働者と呼ばれていた人たちのワークスタイル、ライフスタイルと変わらない。
だとしたら、ネットカフェ難民は、特段目新しいものでもなく、50代が多いというその年齢構成も、山谷のようなものだと思うし、5400人という数が多いのか少ないのかは判断できないが、今も昔も、たいしてかわらないものが、この国にはある、といえるのじゃないだろうか。
その状況を政治的に利用しようがしまいが、それは森永の勝手であるし、私は森永卓郎という人にはそれを期待しているので、今回はネットカフェ難民が、政治経済学的にどうした、というような議論はしない。
ただどんな社会でも、なんらかの理由で(自発的であろうがなかろうが)社会から締め出される(あるいは逃げ出す)人々はいる、ということだ。
そういう方々の避難場所がアジールである。アジールは、社会統制的(権力や社会的主流)には反しているかもしれないが、その存在のおかげで、また社会が安定する装置のようなものだ。そういう意味では、ネットカフェも現代のアジールとして機能しているのだろな、と思う。
しかしそのアジール性は、なにかかつてのドヤ街とは違うような気がする。その違いとは、円環とリゾームの違いのようなものか。山谷には、テリトリー性(地域としての円環・紐帯)があったように思うのだが、ネットカフェという名指しには円環(なんらかの紐帯)を感じない。ネットカフェ難民と呼ばれる人々は、まるで点のように存在しているように(私には)思える。
今、出来ようとしている。そしてそれは、従来の形のスラムとは違った、いわば地域横断的な新しい形の「分散型スラム」である。 (森永)
ただ彼らは、完全に孤立したわけではなく、世界とつながる窓として、ネットに回路をつないでいるのだろうか。
典型的なネットカフェ難民は、普段はネットサーフィンをしたりマンガを読んだりしていて、派遣先から仕事の依頼メールが携帯に届くと働きに出るという生活を繰り返しているのである。
自分のPCを持たない人でも、インターネットにつながったPCは、まるで自分の家のように機能しているのかもしれない。まだ(かろうじて)つながってはいる。
Comment [1]
No.1チカさん
ももさん おはようございます。
多治見は今日も清々しい秋晴れになりました。
ネットカフェ難民、、コメント欄の記事の方が、森永さんの
随筆より遥かに大人の意見ですね。
この種の’あまえ’難民は田舎へ強制連行して農家の納屋に
住まわせて、真夏の炎天下で、田の草取りでもさせてやれば
いいのですよ。 要は苦労を知らないからダメなんですよ。