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2007年01月20日(土) 

芸人―落語的空間。(葉月会での笑福亭迪遊喬)

午前7時40分起床。岩見沢は雪。

葉月会新年会での笑福亭遊喬 

笑福亭遊喬昨晩は葉月会(空知経営研究会)の新年会におよばれした。

そこには昨年と同じように笑福亭遊喬がいて、会場に落語的な空間をつくっていた。遊喬はうちの新年会にも来てくれる。落語は、毎度馬鹿馬鹿しい……ものかもしれないが、芸なのである。

芸というものは、やる人間だけでは成立しない。見られる、聴かれるという「られる」が必要となる。「られる」とは受身である。

芸という場

つまり芸には客が必要であることで、そこには演じる人間とそれを見る人間との「場」がある。芸人はこの場を読み、そして情報を発信し、客に働きかけることで、自らに有利なように場をつくりあげる。それは己の芸がつくりだそうとするイリュージョンの足場のようなものだろう。もしこの足場がうまく出来上がらないのであれば、芸そのものが足場を失うことで 芸は存在し得ない。

しかし、この場をつくっているのは芸人だけではない――つまり客が介在することで、じつは客のレベルがその場を決定してしまうことがある。つまり芸には客が育たないと芸人も育たない、という定理は間違いなく存在すると(私は)思う。

芸人と芸能人の違い

北海道に贔屓筋がいる遊喬は幸せな上方の芸人である。二次会で芸能人と芸人の違いはなんだろうか、と遊喬と話しをした。国語辞典的には芸人と芸能人は同じ意味であり、芸人というのはどちらかといえば芸能人を軽蔑したニュアンスを持っているとされるが、私は自らを芸人と呼ぶ芸人が好きだ。

芸人は芸能人から能を隠す。その能とは 「能ある鷹は爪を隠す」にたとえれば、能ではなく能があるからこそ隠す爪なのだと(私は)思う。

げいにん【芸人】
1 芸能人を、軽蔑(ベツ)的に呼ぶ称。
2 素人で、△多芸(特殊な技芸)の持主。用例・作例なかなかの―だ
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

投稿者 momo : 2007年01月20日 15:58 : Newer : Older

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コメント

「能」の有無。

秘すれば華・・・と言う事でしょうか?

たった一文字の有無に、広がる深い意味にちょっと驚きました。

投稿者 まにあ・1号 : 2007年01月20日 20:21

>まにあ・1号さん

昨日はお世話になりました。

>秘すれば華・・・と言う事でしょうか?

例えばTVをみると、バラエティに出てくる芸能人は固定化されていますね――吉本とジャニーズでしょうか?

そこでは芸を披露することのない、自称芸人が並んでいるのですが、芸の無い芸人はただの人でしかない。

TVという仮想空間は、客が見えない、つまり場が見えない――だから笑点は落語の番組であるために、会場公開型なのでしょうね。

そのただでさえ場の見えないところで、つまり足場がないことで芸が存在できない空間で、芸人でない「芸人」がやるものを芸だと思っているのが今の客なのだと思うのです。

仰るとおり、能を隠すとは、「秘すれば花」です。

しかしその秘したものを、よめる客がいませんと、場に花は咲きませんね。

投稿者 momo : 2007年01月21日 07:45

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