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2019年03月03日|お知らせ


2006年12月10日(日) 

落語的、若しくは笑福亭遊喬の奥行きについて。

06121000 (18)M.jpg12月9日、大阪三人会のはじまりは、笑福亭遊喬――あえて「さん」をつけていないけれど、それは彼を見下しているのではなく、その逆である――であった。

遊喬には安心して会の始まりを任せることができる。遊喬とはそんなに深い付き合いをしているわけではないけれども、(ある意味)修羅場をくぐってきている上方の噺家として、私は遊喬を信頼している。

今回の演目は「看板のピン」で、それは(まくらを含めて)、その信頼に見事に応えてくれていた。そして私のようなものがいうのもなんなのだけれども、なんだかとてもうまくなったな、と思うのだ。そして今年の2月に会ったときよりも、ひとまわりもふたまわりも、人間的に大きくなっているように感じた。

それはたぶん、お子さんが生まれたのが大きいのじゃないのかな、と思う――たとえ「親-子」の情愛が想像界的なものでしかないとしても――のだ。そういう情愛の存在こそが、まわりまわって創造性=イリュージョンとしての芸の奥行きを広げているように思う。

そして遊喬と私は夜遅くまで「芸」について語りあっていた。それはとりとめのないはなしではあったけれど、それは私にとってもとても有意義な時間だった――私自身は、もう「芸」という領域で自分の仕事を捉えようとすることはあきらめてはいるのだけれども――。

遊喬には、来年1月27日の新年会には来てもらう予定でいる。浅草は昨年の暑気払い以来になるが、ひとまわり大きくなった遊喬の芸をその目で確認して欲しいと思う。

投稿者 momo : 2006年12月10日 22:01 : Newer : Older

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