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2007年02月01日(木) 

金魚論をもう一度考えてみるための下書き。

午前6時30分起床。浅草はくもり。

発熱は投薬が効いたのか一時的に?おさまっている。

桃語(用語解説)に「金魚論」を追加しようとしていたのだが、これはそのための下準備のようなものである。(それから発熱でやられた脳みそのリハビリも兼ねている)。

私は、ITに関する仕事を生業としていている。しかしそもそもは建設業界の人である。

建設業界にいた(る)私が、ITに興味を持つようになった大きな理由はインターネットの出現とCALS/ECにあった。

インターネットについてはいつでも散々書いているので、CALS/ECに関して書くが、当初それは効率化と合理化の思想を纏った技術体系として私を魅了したのだ。

当時の公共事業が持っていた精神文化とは180度違うものに私には思えた――私は当時の公共事業という産業の持っていた閉塞性には(その中にいながらも)危機感を抱いていたし、たぶんこの状況はいつまでも続かないだろうなと感じていた(今から10年前ほどのことである)。

つまりCALS/ECという技術が公共事業という産業に導入されることで、公共事業という産業の精神文化は変わるのではないかと期待を込めて思ったわけだ。

そしてCALS/ECに関する仕事に携わるようになり、CALS/ECについて考えることをはじめると、次第にこう考えるようになった。

ITは、いつでも目的を達成するための間接的存在(補助具)としてのツールでしかないが、ことの本質はむしろ、そのツールを使う(生み出した)背景(そこにある目的)にあるのではないか。

つまりCALS/ECはなにを目指し、(私を含む)多くの地場型中小建設業(「公共工事という産業」)を何処に導こうとしているのだろうか、と。

私が、「ももち どっと こむ」の主題のような、こんなわけのわからないことを考えはじめたはこの頃からである――それまでは考えることは嫌いだったのだから。(笑)

しかしこの疑問は考えなくてはならないと思った。それは( )の中にいれて端折れないと思った。

なぜなら考えないとわからなかったことだからだ――つまり前例はなかった。

そして考えながら、私はこう言って技術論的なCALS/ECから離れた。

「CALS/ECにおける中小建設業の立場は明確です。それはCALS/ECの為のITインフラを使う立場だということです。」

技術論はどうでもよくなったわけだ。そんなことよりも重要なのは、(私を含む)公共事業という産業は、インターネットやCALS/ECの時代に、どうなってしまうのだろうか、ということだ。

つまりCALS/ECの持つ思想的背景――今はそれがリバタリアニズムであることをはっきりと言える――が、公共事業という産業を変えていくのかはわかるけれども(つまり「経営=環境×原理」だものね)、 それは(私にとって)決していい方向に進んでいるのではないぞ、ということに気づいてしまったのである。

ではなぜそうなのか、とまた考えたのだが、その答えは意外と簡単だった。

それは、われわれは「金魚」であるということだ。

そして『桃論』に私はこう書いたわけだ。

桃論この業界をめぐる問題は、「中小建設業はまるで水槽の金魚のようなものだ」という比喩で表現できるでしょう。水槽の中の金魚は、野生の魚のように自ら餌をみつけようとすることはありません。いつも天上(水面の上)から降ってくる餌をじっとまっているだけです。

今日ありつける餌があるのかないのか、多いのか少ないのかは、自らの意志の及ぶところではありません。せいぜいできることといえば、ご主人様(餌を与えてくれる人)に嫌われないようにと、時々なにかしらのご機嫌伺いをすることぐらいです。それから同居しているほかの金魚に嫌われない、いじめられないというのも大事なことでしょう。餌をめぐる余計な争いはなるべくしたくはないものです。

傍目からみればなんともお気楽な世界で暮らしているように思われますが、しかし、これは恐ろしい物語と同居していることでもあるのです。つまり、「餌はいつまで続くのだろう」という不安が首をもたげてきた時、だれもが疑わなかったこの世界の永遠性は、静かに崩壊しはじめるのです。

この「中小建設業は金魚だ」という比喩は、「公共工事は悪だ」と考えている方々には賞賛されるものかもしれません。

「世の中飼い慣らされた金魚ばかりだから餌がたくさん必要になって国の財布はすっからかん、その上借金までしなくちゃならない」

そう思っている方々は意外に多いものです。そして挙句の果てには「建設業はもっと自助自立しなきゃいけない」とかなんとかいいだすのでしょうが、残念ながら、本書はこのような方々が喜ぶようなIT化論ではありあません。

本書は、そのような無責任な「自助自立」信奉に立った底の浅い議論こそが問題なのだ、という立場で中小建設業のIT化を考えるものです。ですから、本書は明らかに中小建設業を応援する立場にあることを最初から明らかにしておきましょう。

本書は、中小建設業は「政策的に生み出された産業でしかない」という見解に立っています。この立場は明らかに「金魚論」を反映しています。そして、この立場は「金魚論」が抱える閉塞への問題(これを「公共工事という問題」と呼びます)の問題解決方法を考えるアプローチに影響を与えています。

そして様々なアプローチを(私は)繰り返してきた(つもりだ)けれども、私の力ではどうしようもないものと戦ってきたな、という感はぬぐえない。

しかし、かと言って、あきらめているわけもなく、あきらめるつもりもない。

悪党はあきらめが悪い、ただそれだけのことだ。

Tags: CALS/EC , 金魚論

投稿者 momo : 2007年02月01日 08:29 : Newer : Older

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