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2007年03月27日(火) 

テレビという共同体と芸人の進化的戦略―加護ちゃん引退。

午前6時10分起床。浅草はくもり。 

芸能人の不祥事

加護ちゃん 2度目喫煙で解雇、引退へ」(スポニチ)

「モーニング娘。」の元メンバーで、昨年2月に喫煙が発覚し芸能活動を謹慎していた加護亜依(19)に対して、所属事務所アップフロントエージェンシーは26日、契約を解除したと発表した。謹慎中に喫煙し、18歳年上の男性と1泊旅行をしていたため。復帰が期待されていた中での同じ過ちに関係者や両親のショックは大きく、引退する可能性もある。

「加護ちゃん」という方がどういう方かは知らない。

TV芸人の非悪党性

芸能の世界に棲む者は、そもそもは非社会的な民であり、悪党であり、円環の外にいるものとしての被差別民であった。喫煙は悪いことだろうが、そんなものは不問にされるのが芸人であった。なので(私自身の経験も含め)喫煙で退学処分――これは比喩であって正確には芸能界引退であるが――のような戒めはどうなのだろうと(私なんぞは)思う。その昔(私は)停学1週間であった。教育の現場はどうなのかは知らないが、芸能の世界は異様に厳しいところになったなと思う。

TVとの共同体 

このような風潮には思い当たる節がある。TVの世界に棲む芸人というのは、じつはかつての芸人(つまり非社会的な民であり、悪党である)とは違って、今や、世間にとっては最も身近な円環の中の住人であるということだ。

これは「宮崎県知事選挙でそのまんま東氏が当選したこと。」でも書いたが、つまりテレビは今や、われわれにとっての(仮想的な、心的な)ムラ社会なのである。つまり共同体の機能等価物である。そこで見られる者に匿名性はなく、ゴシップに溢れていることで、われわれのムラ的な心理を満足させようとしている――ことでテレビは益々芸能的になる。そしてそこで生き残るためには芸人はムラ社会的に規範的である必要がある。

村八分

TVと我々の間にある共同体性は、円環であるが故に、〈内/外〉の二項対立を作りやすい。つまり村八分を機能させることでその紐帯を維持しようとする。つまり常に〈外〉を作り出そうとしている。その傾向は益々強くなってきているのではないか。しかしそのルール(規範:〈内/外〉の境界線)を作り出しているのは誰なのか。それは芸人そのものだろう。

反転という悪党性

つまりこれは、芸人が去勢されたとか社会に迎合しているというような単純なことではない。今回の「加護ちゃん」の解雇も芸能会社が決めたことだ。つまり芸能の民が自らそれを決めている。自らが決めていることで(自らが内にいる)円環の秩序を保とうとしている。この戦略は、かつては円環の外にいた芸人が、進化的に取得した強烈に悪党的な戦略なのだと(私は)思う。

芸人はどこかで立場を――キアスム的に――反転させることに成功している。(それはたぶんラジオとかテレビの出現が契機なのだろうがそれには触れない)。そしてそれを益々高めようとしていることで過剰なのである。(宮崎県の知事まで生み出した)。そこに(私は)強烈なしかし秘められた悪党性を感じているが、過剰であることで、それはやがて破綻するだろう。

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投稿者 momo : 2007年03月27日 07:37 : Newer : Older

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