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2007年04月24日(火) 

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ。(太田直子)

 字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

太田直子(著)
2007年2月20日
光文社
700円+税

手紙は年に一通も書かず郵便といえばせいぜい年賀状だけという人の多くも、メールは毎日せっせと書いている。一日に何十通、何百通とメールのやりとりをするケースも珍しくはない。電車の七人掛けシートに座ったほぼ全員が同じ姿勢で携帯電話とにらめっこし、長々とメールを打っている光景はいささか異様だ。ブログなどで不特定多数に向けて文章を発信する人も増えた。/それだけ日常的に文章を書いていたら、それなりに上達するのがふつうだと思うのだが、いかんせん……。(太田直子:『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』:p46-47)

この指摘には素直に私はうなずけるのだが、そもそもこうして毎日ブログを書き続けている私こそが、恥さらし、というか、恥知らずであることは自覚している。それでも、少しは誤字脱字の少ない、(書かれた言葉らしい)テクストを書こう、とこころがけてはいるのだが、しかし『それだけ日常的に文章を書いていたら、それなりに上達するのがふつうだと思うのだが、いかんせん……。』なのである。

それがなぜかはよくわからない。とにかくも(私は)日本語で書くことが苦手なのである。(かといって何処かの外国語で書くことが得意なはずもない)。(日本語で)しゃべることは、なんとかなってもいるが、話すことと書くことは違うことであることも自覚していて、私のWebLogの9年間は、小学生の書き方の時間のWeb版復習のようなものだと言い切ってもよいだろう。

そういう負い目をこころの中にかかえているせいか、太田直子から『日本語が変だ』と叫ばれると(別に叫ばなくともよいとは思うが)、それは私に向かって発せられたことばのように思えてしまって、脊髄反射的にこの本を手にしていたわけだ。読めば、たわいもないはなしなのだが、職業的裏話であることで、少しだけ非日常は楽しめる。 

しかしそれよりも問題なのは私自身のことであって、最近、日本語で己の考えを表現しようとするとき、妙なギクシャク感を感じてしまってしょうがないのである。それは自分で過去に書いたテクストにまで及んでいて、おかげで過去記事の修正は日常茶飯事になってしまっている。場合によっては、その日に書いたブログの字数よりも修正文の字数の方が多かったりするわけで、これは立派な病気だ。これは一体何なんだろうな、と考えるのだが、そんな自分のことさえよくわからないでいるのだ。

Tags: ブログ ,

投稿者 momo : 2007年04月24日 22:57 : Newer : Older

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コメント

TBさせていただきました。

映画字幕の大変さを思い知らされました。

投稿者 タウム : 2007年10月02日 20:18

コメントを送ってください