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2019年03月03日|お知らせ


2007年08月26日(日) 

民主が「農政基本法案」素案・財源1兆円、コメや小麦で所得補償、をネオリベ的に批判する。

民主が「農政基本法案」素案・財源1兆円、コメや小麦で所得補償 (NIKKEI NET)

民主党が9月の臨時国会に提出する「農政基本法案」(仮称)の素案が24日、明らかになった。先の参院選で掲げた戸別所得補償制度を具体化し、コメ、小麦、大豆、菜種などを対象に生産費と市場価格の差額への助成制度を設ける。国際的に低い食料自給率を6割程度に引き上げるのが目標で、財源約1兆円は農業公共事業の削減などで捻出(ねんしゅつ)する。 /法案は9月上旬にも党の「次の内閣」で正式決定し、野党が多数を占める参院に提出する。自民は民主の農業政策を厳しく批判しており、政府・与党と民主の政策競争が活発化しそうだ。

ネオリベ的立場からの批判

民主党の全販売農家への所得保障制度については、先に「負の所得税」ではないか、と書いた。「民主党の全販売農家への所得保障制度は「負の所得税」ではないのか?

それは小沢さんのネオリベ具合を強調しようとしたものだが、上の記事を読む限りでは、ネオリベ的には拍子抜けである。(私はネオリベに批判的な立場だが、以下は"あえて"ネオリベの立場から上記法案を批判してみる)。

それは「ばら撒き」だからではない。

市場が機能しない

それはなによりも、「コメ、小麦、大豆、菜種などを対象に生産費と市場価格の差額への助成制度を設ける」というのがいけない。対象作物を設けること。生産費と市場価格の差額の補償であること、がだめなのである。

これでは、国家が、農家に栽培作物を指定することになってしまう。

「負の所得税」は、(助成金を)なにに使うのかは、貰った方の勝手である、というのがまず第一になくてはならない。(つまり、あくまでも貰ったお金は、市場を通して使われることで、個々人の問題解決に充てられる)。たんなる所得補償でよいのである。

政府の仕事が減らない

それに「生産費と市場価格の差額」の算出、確定に、お役所仕事が発生してしまうだろう。ネオリベ的助成金は、お役所仕事をいかに減らすかが大事なのにだ。

農業土木の皆さん、落胆しましょう

しかし財源は、予想通りに、農業関係の公共事業費を転換させるだけである――「財源約1兆円は農業公共事業の削減などで捻出(ねんしゅつ)する。」

つまり民主党は、公共事業という産業を見切ることで、小さな政府を志向している、と言い訳できる部分をちゃんと確保していたりする。(それもたったの1兆円でである。まったくいやらしい)。

ちなみに、全国の販売農家(30アール以上か年50万円以上の農業所得)は、2007年2月現在、181万3千戸であるので、助成金を1兆円だとると、1戸あたり約55万円となる。(これが多いのか少ないのかはわからない)。

そしてこの直接給付の目標は(目的ではない)、「国際的に低い食料自給率を6割程度に引き上げる」ことだ、といっている。では目的はなんだろう。

アダム・スミス回帰派としての民主党

この法案はネオリベ的には穴だらけなのだが、これを米国的なネオリベではなく、18世紀英国型とでもいえる「アダム・スミス回帰派」としての民主党としてみると、まあ、いけているのじゃないのか、と思えたりする。(アダム・スミスの思想については今回は深入りしない。参考文献としては、佐伯啓思:『アダム・スミスの誤算』を挙げておく)。

しかし、アダム・スミスの思想なんて、いまさら誰が理解し、支持するのか、なのだが、それは今のネオリベ的経財理論=市場主義、の原型と(一般には)解釈されているのだから、まあ関係なくもないだろう。

スミスは、小さな政府>大きな政府=強い政府>弱い政府を志向し、重農主義>重商主義=ナショナル・エコノミー>グローバル・エコノミーを志向することで、まずなによりも農業を重視する。

農業の重視

そしてスミスは、まず農業に投資するのが人間の自然(ヒューマン・ネイチャー:いってみれば「神の見えざる手」)だ、といい、重商主義(グローバル・エコノミー)を批判したわけだ。(アダム・スミスの「神の見えざる手」って本来そんなものなのだ、と私は解釈している)。

事物の自然な運行によれば、あらゆる発展的な社会の資本の大部分は、まず第一に農業にふりむけられ、次に製造業にふりむけられ、そして最後に外国商業にふりむけられる。事物のこの順序は、非常に自然であるから、かりにも領土をもつほどであれば、どのような社会においても程度の差こそあれ常に観察されてきたことだ、とわたしは信じている。(アダム・スミス:『諸国民の富』第3編(第2分冊:p426 ここでは『アダム・スミスの誤算』:p202より引用)

普遍経済学しかし、米国型の金融資本主義(グローバル・エコノミー)全盛の今という時代には、「徳」としての人間の自然(ヒューマン・ネイチャー)は破壊されてしまっていることで、自然に農業に投資する人々なんて増えやしない。

(普遍経済学的にいえば、土地の純生産である農作物は、土地の生み出す資本である利回りを超えることができない)。

なので、あえて政府(民主党)が、正しい方向(なにが正しいのかは今回は不問)に産業政策を転換しよう、というのなら、民主党の今回の政策案は、理解できる可能性がある。

強い国家

さらにスミスは、なによりも強い国家を求め(なにせ『富国論』なのである)、富める国ほど強力な軍隊が必要だ、と説いていたのだし、つまりスミスは国民経済主義者(ナショナルエコノミスト)、国民主義者(ナショナリスト)なのである。

この辺りはどこか小沢さんにもつながるし、スミスは、強い国家の基底を農業においていたのだ、とすれば、小沢さんもそれに倣っているのかもしれない。(単なる推測だけれども)。

それは、今となっては、かなりマニアックなものだし、そんなもの、いまさら誰が国民に理解させ、支持を得るのか、という問題はある。けれども、単純に、現代的に焼き直しは可能だと思えたりもするのだ。

だからもし仮に、民主党(小沢さん)が、スミス的なものへの回帰を目指している、とするなら、この一見ネオリベのおじさんは、(私的には)かなり面白いのである。ただ国民にとっては、えらく迷惑な存在なのだとは思うのだけれどもね。w

投稿者 momo : 2007年08月26日 11:27 : Newer : Older

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