このグラフがいっているのは、公共事業費はこの5年間で、35%程減少し、それとともに、国交省出身候補の参議院選挙での得票数も減少してきている、ということだ。
今回、国交省出身の佐藤信秋氏は、当選はしたものの得票数は22万7千票で、2004年の脇氏から票を減らした。
年金、政治とカネなどで敗れたと言われる自民党。しかし今度の参院選は、目につきやすい点ばかりがマスコミで取り上げられる一方で、自民党の「ある時代の終わり」を告げる画期的な選挙でもあった…。 (サンプロ)
番組(2007年8月5日 テレビ朝日 サンデープロジェクト)では、土地改良団体
建設業界代表候補、土地改良団体(農水土木)代表候補だ。この二組織は、公共事業を舞台に巨大な集票マシンを作り、国交省、農水省大物OBを国会に送り込んできた。小泉時代は「抵抗勢力」とされ、過去2回票は減らしつつ候補を当選させてきた。(サンプロ)
贈与としての開発主義の終焉
「公共事業を舞台に巨大な集票マシンを作り、国交省、農水省大物OBを国会に送り込んできた」ことは、贈与の関係が継続してきた、ということだ。
小泉さんは、(ネオリベ的に)この贈与システムを否定する(その仕組みは簡単で、公共事業費を削減し、そこに交換の原理を持ち込むだけだ)ことで、都市部の支持を受けた。(そこにあったのは人間の嫉妬である)。
そして、地方の自民党支持者は、ただ自民党であることで、(慣習的に)小泉さんを支持し自らの首を絞め、一部それに反対した自民党支持者(抵抗勢力)もいたが、その多くも惨敗した。(〈新自由主義/開発主義〉というバイナリーの立場は逆転した)。
そのことで、この国の贈与システムであった開発主義はほぼ終焉を迎え、それ(開発主義)に代わる政治経済システム(贈与システム:政治は贈与である)がないまま、ドメスティックな経済圏でしかない地方と地方の公共事業という産業の疲弊は本格化した。
そのことで自民党は足場を失っていた。
安倍さんはそんな状況を知ってか知らずか、小泉さんの改革路線を継承することで、自民党は今回の参議院選挙を乗り切れる、と考えた。
小沢一郎という人
しかし、小沢一郎という人は、人間的には嫌いだが、選挙はうまいな、と認めざるを得ない。
安倍さんが、ちっとも気にしていなかった地方の疲弊に対して、特に農業に対して、開発主義的政策を打ち出した。小沢さん、あなたはネオリベだろう、と私は突っ込みたいのだが、小沢さんは選挙に勝つためならなんでも「あり」なのである。
けれども問題は、その小沢民主党でさえ、公共事業という産業に対する、(開発主義の)代替的な政策はない、ということだろう。
政治は公共事業という産業を見切った
それはこの贈与の関係が、交換に向けられていることで、ぶれない軸としての大衆の批判の対象になってしまったからだ。
じつは小沢さんこそがその代表格だったことで、彼は二度と(直接的には)公共事業という産業に触れはしないだろう。
純粋贈与をもつこと
純粋贈与をもたない関係は、持続することが難しい。(それは安倍さんにもいえることだ)。
普遍経済学的=新たなる贈与
われわれは今や、毛細血管の無い
身体のようなものになろうとして いる。しかしそれは死を意味する だけだろう。つまり今の課題は、 金銭的な贈与(毛細血管)を失う なかで、如何に毛細血管を張り巡 らせることができるのか、なので ある。 それは、お金ではないもの、なの
ではないか、と私は考えている― ―というか、お金は後からついて くる、と考えないと、この変化の 前ではただ立ちすくむだけになっ てしまうことで、われわれは、な す術を失うだけだろう。そしてそ れは「贈与の対象を交換から純粋贈与へ 置き換えること、でしかないのだと思うのだが、 これを制度的にどう構築できるの かは試行錯誤を繰り返すしかない だろう。 なにせ、開発主義は終焉させたが
、それに代わる贈与モデルは、ま だないのである。(「緑資源「廃止含め検討」=談合防止で安倍首相表明―開発主義の終焉と新たな贈与の必要性について。」)
その再構築のエネルギー源は、(そこに公共事業という産業があろうとすれば、公共事業という産業が)、自ら、目的と理念をもって情報を発信しつづづけることでしかない。
しかし、それさえもできない産業であることで、公共事業という産業に未来はないのかもしれない。そして、やめるにやめられないもの、また安倍さんと同じであるのかもしれない。
ただ、私は諦めはしない。パトリのためにね。