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2019年03月03日|お知らせ
居酒屋タクシーについて―公務員は倫理を厳しく律せられていない。なぜなら国民から疑念を抱かれることをするのが公務員であるからだ。
タクシー問題、金品受け取り502人 累計1万2400回 (日経ネット)
町村信孝官房長官は6日午前の衆院決算行政監視委員会に出席し、財務省など中央官庁の公務員が深夜タクシーの運転手から金品を受け取っていた問題について、提供を受けた職員数が13の省庁や機関で計502人に達したことを明らかにした。これに関連し、福田康夫首相は「公務員は倫理を厳しく律せられている。国民から疑念を抱かれることをしてはいけないという当たり前のことがなぜ守られないのか」と語った。
民主党の長妻昭氏への答弁。委員会に提出された資料によると、全部で21ある中央省庁や機関で聞き取り調査をした結果、現金を受け取っていたのは財務省の職員の1人のみで、あわせて187万5000円の提供を受けていた。商品券など金券は財務、環境、総務の3省の職員が計20万7500円受け取っていた。
車内でビールやつまみなどの提供を受けていた事例は13省庁・機関で判明し、回数は累計で約1万2400回に上った。厚生労働省など調査中の省庁もあり、職員数や回数が今後増える可能性もある。
公務員は倫理を厳しく律せられていない。なぜなら国民から疑念を抱かれることをするのが公務員であるからだ。
午前8時起床。浅草はくもり。最近話題の「居酒屋タクシー」の記事をまとめ読みしていた。「居酒屋」と「タクシー」は、あたしの中では別々のものだが、それをカメラ付き携帯電話のようにハイブリッドしてしまうのは、いかにも日本人的な創造性なのかね、ぐらいに感じていたのだけれども、上の引用記事にある福田首相の言葉は面白いなと思った。曰く
「公務員は倫理を厳しく律せられている。国民から疑念を抱かれることをしてはいけないという当たり前のことがなぜ守られないのか」
なのであるが、それは公務員に対する愛情に満ちあふれた言葉だなと思う。「みんな」(国民)は、とっくの昔から「公務員は倫理を厳しく律せられていない。なぜなら国民から疑念を抱かれることをするのが公務員であるからだ」と考えている。
それはあたしの中では、《浅草は利己的な街なのである。だからこそ戦略的に利他的なのである。》の逆説のようなもので、つまり集団に頼るしかない人間は、集団に属することで自分を曖昧にできるからだが、自分が曖昧であるなら倫理など必要もないからだ。
街的な倫理の生まれ方
集団に属しながら自分を曖昧にしないのが「街的」であって、なぜなら「街的」は広義の自営業者が「私」になるためのプロセスであり普請中(@森鴎外だっけか?)なのであって、自分が曖昧なら商売にならないことを集団(「われわれ」)が教えてくれる過程だからだ。
つまり商売をしていれば、必然的に〈他者〉(お客様)は存在するのであり、「倫理」とは「私」と〈他者〉との関係から「私」の中に生まれるものだからだ。その〈他者〉との関係のなかで自分を曖昧にしないために(そして利己性を暴走させないために)「街的」な倫理は働くのである。
公務員的な倫理の壊れ方
一方、集団が自分の倫理を代行してくれるのなら、自分を捨てることができる人たちもいるわけで、それをあたしは「種に溶けた個」と呼んできた。
それは「閉じた円環」(円環モデル)としての集団組織の特徴であって、そこではますます自分というものが曖昧となり、そしてスパイラル的に倫理も曖昧になる。たとえば、
競売入札妨害(談合)容疑で逮捕された元開発局農業水産部長、森繁容疑者(57)はあっさり容疑を認めた。「悪いことだとは分かっていたが、自分の代でやめられなかった」(from 検証・官製談合:/上 時代の要請 自浄能力ない開発局 /北海道)
なのである。それが今の公務員という組織集団の原理であるのは、それが長い間「閉じた円環」に籠もり〈他者〉(国民・市民・「みんな」)を意識してこなかったからで、〈他者〉がないから公務員に倫理は生まれなかったのである。
しかし集団の原理に自分を溶け込ませてしまうことで、自分はますます組織に依存する心細い「私」でしかなくなってしまう(それを肩書き人間とか、会社人間とか言っていた時代もあった)のであって、それは、ますます集団組織に自分を紛れ込ませ自分を曖昧にすることでその組織を衰退させている。つまり、個(個人)/種(組織)のダイナミズムが機能しないのである。
「個は種のミームの中で育ち、また種は個の変化によるミームの変化を内包している」のが、あたしのいうIT化、つまり「種の論理」なのだけれども、公務員や大企業には「種の論理」は逆にしか(つまり悪い方向にしか)機能しないだろうというのは、別にあたしでなくとも考えることであって、それらが、ウェブ化する現実(市民社会が台頭する時代)では、厳しい環境に身を置くことになるのは当然のことでしかなかった。
公共工事という産業
だからあたしの対象は中小建設業であったのだ。組織の小ささを逆手にとり、現場の独立性を自営業者と読み替えて、その可能性を追求してきたのがあたしのIT化なのだけれど、その最大の障害も、公共工事という産業の構成員のひとりであった「公務員」だったというオチなんだわね。つまり公共工事という産業をつくったのも公務員だったのだわ。それもまた閉じた円環のままだったということだろう。
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: 2008年06月08日 11:02: Newer
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