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2019年03月03日|お知らせ



「だれでもよかった」は「だれでもよかった」のではない。なぜなら彼は秋葉原に来たのだから。

逮捕され、連行される秋葉原・連続通り魔事件の加藤智大容疑者=8日午後(一般提供)東京・秋葉原の電気街で8日午後、赤信号を無視して突っ込んできたトラックに横断者がはねられ、降りてきた運転手に通行人がサバイバルナイフで次々と刺された事件で……

(中略)

これまでの調べでは、殺人未遂の現行犯で逮捕された加藤智大容疑者(25)は8日朝、住んでいる静岡県裾野市をレンタカーで出発して秋葉原に来たという。取り調べに「世の中がいやになった。人を殺すために秋葉原に来た。だれでもよかった」などと供述。薬物反応などは出ていないという。

(画像:たぶんここ数日間でもっとも露出の多いであろう写真)

8日午後、秋葉原で起きた事件をテレビで知ったとき、それは衝撃的であった。テロップに映し出された彼の、25歳という年齢を目にしたとき、25歳は若く「世の中がいやになった」などという歳でもないだろうに、と思うのは、あたしらのような高度経済成長期に長いモラトリアム期をもった世代の感覚だろうか。

警視庁捜査1課万世橋署の調べに対し、加藤智大容疑者(25)=殺人未遂で現行犯逮捕=が「世の中がいやになった。人を殺すために秋葉原に来た。だれでもよかった」などと供述していることが分かった。捜査1課は通り魔的犯行とみている。

「通り魔的犯行」の定義も、ましてや通り魔の心象なんて、あたしはわからないけれど、彼の抱えていたものが、ほんやりとした不安(@芥川龍之介:アノミー)で括れるようなものならば、だれもが「彼」であった可能性も否定できないかもしれない。

夢を追いかける若者も多いけれど、「世の中がいやになった」若者も多いのかもしれない(とくに就職氷河期に社会に出た世代には)。そういう若者の中には、変わらぬ身の上、現状の打破を「戦争」に求めるような心象もあるようで、(最近はあまり話題にもならないけれど)ネット社会のプチ右傾化はそのちょっとした表出だろう。

まあ、彼らの「戦争肯定」の多くは、自分は棚に上げておいての現状の破壊(リセット願望)なのであって、それを大げさに心配してみせる必要もないのだが、誤解を覚悟で云えば、あたしは今回の事件というのは、本気で「戦争」を待っていた人間の待ちきれなさの表出のようなものではないのか、と思うところがある。だから「だれでもよかった」は、だれもが「彼」であったかもしれないということなのであって、それはあたしさえもである。

しかしなぜに「彼」は秋葉原を選んだのだろうか。「だれでもよかった」は「だれでもよかった」のではないはずで、なぜなら彼は秋葉原に来たのだから。

「だれでもよかった」なら「どこでもよかった」のである。「だれでもよい」の前には「どこでもよい」がある。しかしその「どこでもよい」は本当はどこでもよくはないのだ、つまりだれでもよくはないのである。(たぶん)

しかしこうして書いていても、すべては憶測なのであって、ほんとのことなんか全然わからない。この「なんだかわからない」事件の被害者のことを思えば、云いようのない悲しみと、怒りを覚えざるを得ないのだけれども、一歩引いてみたとき(たぶんこれから明らかになるだろう今までの彼の生活は、余所目にはフツー過ぎるるぐらいにフツーであるだろう)、これは今という時代にフツーの人が抱えた時限爆弾のようなモノの一端なのかもしれないな、とも思うのだ。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年06月08日 23:02: Newer : Older

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