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2019年03月03日|お知らせ



身体性。

昨日は北海道から悲しい知らせがあって、あたしは憂鬱な時間を過ごしていた。親しくさせていただいた会社が民事再生法を申請したとのことである。その社長には大変にお世話になってきた。最後にお会いしたのは10月だった。蕎麦のなくなった蕎麦屋で、酒を酌み交わしながらシビアな話をしていた。しかしまさかこんな結果になろうとは夢にもおもわなかった。あー。

商売人はいつも不安だ。けれど楽観主義者であるあたしでさえ、今ほど不安な時間を感じたことはない。経済はあらゆる部分で目詰まりを起こしていて、坂道を下るように状況は悪化している。創造性と独創性と財力とマテリアルを持ち合わせていないあたしの戦略は、

とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自性を保っていくことが一つの方法になるかもしれない。(川俣正:『アートレス』:p45)

埴輪でしかないのだが「巨大な動き」があまりにも速すぎて、あたしは「それ以上のスピードで流れていくこと」ができていない。

いや「巨大な動き」は止まっていて、流れないからあたしも流れない、と云った方が正解かもしれない。

こんなときに頼れるものは自らの身体性でしかないのもたしかで、あたしは自らの身体に問いかける。

「なにができる/なにができない」 

身体性とは、つまりは身に染みた「芸」のことであり「技」のことである。うちの近所にいた快楽亭ブラック師匠は、ギャンブルの借金が元で、立川流から除名になった。いってみればリストラである。

けれども彼の身に付いた「芸」は奪えるものではなく、まだ落語を続けている。つまりは「芸は身を助ける」。これが「芸」を持つ者の強みであるだろう。

しかしこの身体性を育む贈与的な時間軸、あたしが「芸」や「技」とは、時間軸と共に変化する己の成長(変化)なのである、と云っているものを破壊してきたのが「交換の原理」である。その典型が「派遣」だ。

今売れるモノ、今おカネになるモノばかりを探してきたあたしたちは、労働を通して「芸」や「技」売ってきたつもりだったけれど、それは「芸」や「技」だったのだろうか、というのが今直面している問題なのか。いやそれは「芸」であり「技」であったはずだ。であれば、ただ商品としてのそれが売れなくなっただけのことなのか。要は「需要」の問題なのか。 

そして身体性とは制約のことでもあると悟るのである。「あれもできない/これもできない」 。あー、である。今更気付いても遅いのだけれども、身体性はいつでも正直なのである。

Tags: 派遣 , 身体性

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年12月26日 11:45: Newer : Older

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