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公共事業が日本を救う (文春新書)

藤井 聡(著)

2010年10月20日
文芸春秋社
830円+税


午前5時10分起床。浅草は晴れ。血糖値は107。最近話題の本、『公共事業が日本を救う』を読んでみた。

この本は、第2章の『「豊かな街」をつくる』が、一読してよいな、と思った。それは藤井先生がスウェーデン第2の都市、人口45万のイエテボリに1年間留学した時の思い出を書いたものだが、「街の交通の在り方」が(今の)日本とは違う、と言うことが書かれている。

つまり「多くの人々が街の中に住み、街の中で働き、街の中で買い物や食事をし、街の中で子供と共に過ごしている」イエテボリの街は、まるで裏浅草なのである(笑)。

裏浅草の定義をひとことで言ってしまえば自営業者の街である(ホントか?)。

車はあるが、余計な走りはしていないし、そもそも持っていない家の方が多いのである。なので車の相対量が東京23区内では抜群に少ない。少ないのもだから郊外店舗はないのであり、その代わりに商店街がある(千束商店街。だいぶ寂れたが)。

そこでは、あたし達が「街的」とか「町内会」とか呼ぶ「コミュニティ」が出来るのだ。

つまり日本の都市生活から、「コミュニティ」を除けば、そこには「クルマ」が残るのである。「クルマ」があるからこそ郊外店舗ができ、街の中心が衰退し、シャッター商店街が見られるようになったのである。

かといって「クルマ」をなくしてしまえばいいか、というとそうでもない。地方都市の場合、「クルマ」に変わる公共交通機関も少ないわけで、都市間を結ぶ「クルマ」は必要となるのである。

その為には環状道路と、大規模な駐車場によって外からのクルマを受け止め、自動車交通から解放された「都市の道路空間」を歩道やLRT、広場に転換していこう、というのである。

そしてこのために公共事業が必要なのだ、というのが藤井先生の論点のひとつなのである――いや、ひとつと言うよりはほんのきっかけにしか過ぎないのだろうが、(「街的」なあたしには)これが一番のことと思われた。