助けてと言えない―いま30代に何が

助けてと言えない―いま30代に何が

NHKクローズアップ現代取材班(編著)
2010年10月30日
文芸春秋 
1200(税抜き)


午前6時45分起床。浅草は晴れ。『助けてと言えない―いま30代に何が』を読んだ。読んだと云っても、ほんの2時間ばかりで読み終えてしまうものだ。

2009年10月7日のクローズアップ現代、「”助けて”と言えない~いま30代に何が~」の放送は、あたしが脳梗塞で倒れた直後であり、あの脳味噌の具合では、放送を見ても何がなにやらで、わからないままだったろう。

しかし、その放送の書籍が出たことで、あたしのような”遅れてきたもの”も、「”助けて”と言えない~いま30代に何が~」の放送を見た以上のものを享受できている。

この本は、クローズアップ現代取材班(と言われている方々)が取材した、30代の人達の閉塞と、少しばかりの解放の本である。

39歳の男性が孤独死した。その時、便箋に書かかれた言葉は「たすけて」だった。が、彼は生存中「たすけて」とは言わなかった(らしい)。たすけて欲しい状況なのに、たすけてといえない。そのことをきっかけに、この本は展開してゆく。 

社会の雇用環境の悪化や、社会的閉塞感の中、何かに頼ることができず、自分を責め、自分で何とかしようにも何ともならず、自ら消耗していく姿、それが30代ということなのだろうか。

あたしは50代、本書が書いている世代よりも2世代も上である。どちらかと言うと息子と娘の世代だろうが、たしかに30代はこの問題の局地のような気する。彼らが抱える問題は、”自己責任※1 を言われて育ってきた世代の当然の結果なのだろう。

昨日、あたしは友人から電話を受けて飲みに出掛けたのだが、その友人の娘婿とういのがこの世代であり、話を聞けば、彼は自立しようにもできないでいるらしい。

けれど、この友人の娘婿の場合、甘いといわれようが、なんといわれようが、お義父さんを頼って生きているわけで(単純に依存している訳ではない)、それはそれで立派なことだ、という話をした。

ひとり立ちしようとしてもできないとき、近くに立派な(義理の)親がいるのだもの、それを頼って生きるのは決して悪い生き方ではないだろう、と。

つまり、親とはいわないまでも、家族とか、親戚とか、なによりも近所の人達を頼れない人が最近多いように思うのだ。

だから、あたしは「中景※2 って大事だよ、といってきたに過ぎない。中景は確かに鬱陶しいし、面倒臭いが、鬱陶しいものも、面倒臭いものも、生きていくうちには、ちょっとばかりいいときがあるかもしれないよ、と思うのだ。  (約束通り、2011年1月22日 22時にアップした)。

注記

  1. 自己責任とは「なにが起きても他人(ひと)のせい」のことである。 参照
  2. 「中景」あるいは「象徴界」の衰弱(引用+図解)。 参照