![]() | その未来はどうなの? (集英社新書) まえがき――自分の未来はどうなの? |
『その未来はどうなの? 』
午前6時50分起床。浅草は晴れ。久しぶりに橋本治を読んだ。『その未来はどうなの? 』である。どうして久しぶりなのか、と問われれば、(あたしは)「あとがき」を読んで分かったのだが、どうやら彼は「めんどくさい病気」(と彼が云っている)を発見され、四ヶ月程入院生活を送っていたらしい(退院後もまだ通院している)。
それが、2010年の秋というから、あたしが倒れてから1年程後、まだ、あたしは本がちゃんと読めない最中で、まあ、彼が書くのと、あたしが本を読めるようになるのが、クロスしていたのかもしれないな、と思う。
彼の現状は、すぐに疲れて頭は停止して眠くなってしまうそうで、主治医からは、「はっきり言って、あなたの状態は、”これ以上よくなるなりようがない”という低水準で安定しちゃってる」と云われているらしが、まさに今の日本と同じ状態といってもいいのではないか。
『桃論』(あたしの本でここに途中までの引用がある)では、『「わからない」という方法 』 を大いに引用させてもらったが、この、『その未来はどうなの? 』も同じ様に、「分からない」から考えているのだ。しかし、「今の世の中というか社会というか世界というか、そういうもののあり方がよく分からない」と言っている人間の書いた本であるから、「そのように分からなかったのか」にまで巡り着ければ上出来なのである、と彼が云うのも一理ある。
しかし、この本を読めば読むほど、その短い「あとがき」が、どの章よりも(あたしには)おもしろい、と思える。あたしも、彼と似たような入院生活を送っていた(病院のベッドで寝てばかりいた)時期があるからかもしれず、しかし、それは似ているだけで全然違うものであるかもしれず、まあ、どちか分からないのだが、病気で暫くリタイアしていた、と聞くと、同じ仲間と思ってしまう。
彼は64歳(1948年生まれ)であるから、あたしよりも10歳程歳上だ。その彼も「やたらと疲れて、集中力が続かずすぐに眠くなって、しかも脚が痛くて歩行がままならない」、という状況だそうだが、文章も切れがなくなってきているような気はする。この切れの悪さは、病気のせいだと思えるので、また昔の様には書けないかもしれないが、ぼちぼちと、楽しみにしている人間には(届くような)文章を書いて頂きたいな、と思うのである。