カキフライカキフライ


カキフライといういつもの(でも1年に1度の)夕餉

午前5時30分起床。浅草は晴れ。西村さんからいただいた牡蠣には、いつものように殻付きのものと剥き身のものがあって、一昨日の夜は、剥き身をカキフライにして食べた。タルタルソースそして、これもいつものことだが、剥き身の牡蠣をいただき続けるかぎりは、あたしはカキフライをつくり続け、そして食べ続けるだろう、と思うのだ。

タルタルソース代わりにしていた、「館ヶ森アーク牧場製の昔たまごマヨネーズ(ハーブ)」が今は買えないので、自家製のタルタルソースもつくる(これにはキューピーマヨネーズが最適なのだ)が、ゆで玉子は入っていないが、これがうまいのだ。

一夜だけの楽しみ、とばかり、いや、正確には、1年に1度、カキフライをちゃんとつくる日を楽しもう、と家人は忙しい。けれど、1年に1度だけなのによくもつくる作法を忘れないものだ、と思いながらも、カキフライを食べるだけのあたしは、いつものように何もしないで待っている。

家人がつくるカキフライは、他の何処よりも小麦粉が少なく、実が痩せているように見える。しかし実は痩せているわけではなく、そう見えるだけなのだが、その方があたしには好都合なわけで(糖質制限食故)、数え切れない程のカキフライを夕餉に食べたのだ。

呑むのは糖質0の「アサヒ スタイルフリー」の500mlを1本だけ、という慎ましさだが、そんなことさえ、すっかり慣れっこになったあたしは、この素晴らしい贈り物に、いつもこのブログを書くことでお返しをしている。しかし、なにかそんな事では、「贈与」の神様に申し訳が立たないように感じているのは何故だろう。

カキフライ