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2006年09月20日(水) 

『格差社会の結末』 中野雅至を読む。

格差社会の結末

格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢

中野雅至(著)
2006年8月28日
ソフトバンク クリエイティブ
760円+税

午前6時40分起床。浅草は晴れ。 今日は、自民党の新総裁の決まる日であって、それは新しい首相の誕生でもあり、また新しい内閣ができることでもある。

小泉政権の5年間が、戦後日本の、均等ある発展を主導した開発主義的政策の幕降しだったのはたしかで――開発主義はその日没が難しい――、それは旧自民党的な配分の政策の終焉であろうし、本格的な格差社会のはじまりであったこともたしかだ。

新しい内閣が、何らかの格差(特に地域間格差)――データではなく国民の多くがそう感じていれば格差はある――対策を講じなくてはならないのは避けられないだろう。

なぜなら「いちばんぐらつかない軸は大衆なんですね。※1だからだ。大衆が愚民であろうがなんだろうが、われわれの象徴界を感情(世間)が支配する限り、格差対策は必要となる。

しかしそれはまた、格差社会の是正の為に公共事業を使うことはないことを意味している。つまり新しい首相になっても公共事業が増える可能性は少ないだろう。なぜならそれもまた「いちばんぐらつかない軸は大衆なんですね。」だからだ。

それは公共事業が不要だということではなく、増え続ける国家債務と、効果をみせなかった公共事業の乗数効果に対する大衆の失望、及び大衆に広まった業界のダーティなイメージが大きな理由であり、つまり(今のところ)大衆は公共事業という産業をセーフティネットとしては支持していないということである。

つまりわれわれは、首相が替わっても、公共事業が増えることはない、という認識を持って、引き続き戦略的に動かなくてはならないだろう。それはなによりもパトリの為にである――つまり「」と「われわれ」のためにである。

※注記

  1. 中沢新一:『憲法九条を世界遺産に』:p141

投稿者 momo : 2006年09月20日 08:19 : Newer : Older

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