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2019年03月03日|お知らせ


2006年08月06日(日) 

盆踊り―シンクロシステム

06080500 (3).JPG午前6時時起床。浅草は晴れ。
薄っすらとガスがかかっている。

浅草観音裏の七カ町合同の盆踊り大会が、昨日、今日と開催されている。

ここ数年、盆踊りとは縁遠い生活をしていたのだが、昨日は息抜きがてら、浅草アロハにサンダル履きという格好で出かけてきた。

場所は、川端康成が『浅草紅団』こう書いた辺りだ。

浅草観音裏の停留場を北へ入ると、右は馬道町、左は千束町、それを少し行って、左側に象潟署、右側に富士尋常小学校、そこで浅間神社に突き当って四辻だ。

盆踊りを観て思うのは、これはある時代には、究極のシンクロシステムとして機能したのだろうな、ということだ。

なにしろ輪になって同じ振り付けで踊るのである。その中心にあるのは音頭(音楽)であって、その構造は円環モデルそのものである。つまりこれは強烈な中景維持装置なのだ。

ただ円環モデルの性質が強すぎると、祭りの持つ、公界性(アジール性、ガス抜きとか他者の参入の可能性)が機能しなくなってしまう。なので、露店がこの会場を囲み、ここが公界(アジール)であることを示す結界を張っている。

しかしその露店は、もはや香具師のものではなく、地元の青年部の方々が運営していることで(つまり模擬店)、アジール性は薄くなり、第二象限的コミュニティ性が少しだけ強まる。ここが現代的と云えば現代的なところだろう。

しかしこの現代性は、参加されている方々の年齢構成にも表出してしまって、目立つのは年寄りと子供ばかりなのだ。付き添いの父兄は遠巻きである。

踊っているのは、殆どお年寄りである。青年部の皆さんは裏方や、露店の運営をしているので、踊りの輪にいないのは仕方が無いのだろうが、それにしても若者が少ない。まるで過疎の村の盆踊りをみているような錯覚に陥いってしまったのだ。盆踊りの新しいあり方を模索している途中なのかもしれないなとも思う。

一方10日には、「第一回 大東京 和おどり」が隅田川沿いで開催される。これは参加者3000名という、超弩級の盆踊りであるが、いったいどんなものになるのかは想像もつかない。ただ〈他者〉(外国人)に開かれることを目的のひとつにしていることで、外とつながる円環――メビウスの帯的な――、シンクロシステムとなる可能性はあるなと思う。

投稿者 momo : 2006年08月06日 07:36 : Newer : Older

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