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2019年03月03日|お知らせ


2007年03月03日(土) 

【資料】(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニーでのPPT。

2007年3月1日、(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニーで使用したPPTをアップしましたのでご自由にお使いください。

時間軸でみること―キアスム

桃知利男 講演中お題は「イントラネット後の協会IT化(ブログ化)の意義」としたが、最初の切り口は、10年という時間の流れである――物事を時間軸で見ることの出来ない人が多いけれども、それは精神構造が交換の原理に侵されているからでしかないと(私は)思う。それはあまり賢い思考方法ではない。余計な一言かもしれないがあえて書いておこう。

インターネットが普及し始めて10年もたてば、キアスム的にWebは社会化するし、社会はWeb化する。

そのある時点での断面(の概観)としてWeb2.0を見ることは、今という時代のすべてを知ることにはならないけれども、そこにある流れを大まかにつかまえることはできるだろう。

Googleが売れなかった頃

Web2.0を代表する企業としてGoogleという会社がある。昨今はこの会社の成長のスピードばかりに注目が集まっているけれども、私はGoogleがまだ売れていなかった頃に、彼らがなにをしていたのかに注目している。

Googleが今のような成長スピードに乗ったのは、「アドセンス」(コンテンツターゲット広告)を導入してからだと私は考えている。それは2003年のことだ。

それまでのGoogleは、優秀な検索エンジンであり、便利なツールではあったけれども、その技術が収益に結びついているとはとても思えなかった。

Googleの贈与

では売れない頃、Googleはなにをしていたかと言えば、「Googleの三位一体モデルと農業の三位一体モデル。」 で示したように、お百姓さんが田畑を耕すように、インターネットを耕すことだった。

Googleはひたすらインターネットを耕し続け(贈与をつづけ)、あるとき、その検索アルゴリズム(純生産)が、アドワーズやアドセンスというかたちで商品に転化したのである。

つまりGoogleでさえ、インターネット(という純粋贈与)に対する贈与を続けることで、その見返りを得たのであり、それは贈与の原理が支配的であるが故に、時間がかかったということだろう――贈与のお返しは一定の期間をおいてなされる。

昨今の風潮として、見返りは直ぐに、という、交換の原理的発想が蔓延してしまっている――政策や教育にまでそれが浸透してしまっている――ことで、私たちは大きな過ちを犯しているのではないかと(私は)思う。

冷静になって観察してみれば、交換の原理が強烈に支配しているとされるWeb2.0の世界でさえ、普遍経済学的な三位一体モデルは機能し続けている。

その理由は簡単で、経済的取引を円滑に行おうとすれば、その潤滑油として、メタ情報である「信頼」は必要だからだ――こんな単純なことさえ最近はわからない方々が増えていることで、この国の疲弊は進み続けてきたに過ぎない。

公共事業の三位一体モデル

公共事業の三位一体モデル。ひるがえって公共事業をみれば、それはそもそもは、普遍経済学的な三位一体モデルでしかないことで、Googleと変わりはないのである。

公共事業にたずさわる建設業(つまり岩手県建設業協会)は、贈与的に岩手県(という自然や県民)の世話をする。そのことによってのみ、信頼と建設技術という純生産を得、それが商品に転化することで経済活動につながっているに過ぎない。

その意味で、岩手県建設業協会を岩手県(県庁)や自治体名と置き換えても、違和感はないだろう。つまり役所(発注者)も建設業界(受注者)も目的は同じなのである。

であれば、われわれは贈与する技術の向上を、岩手県建設業協会という種に足場をおくことで達成しようとする。それはGoogleが個人ではなく、会社組織であることと同じでしかない。

閉じた円環としてのイントラネット

昨今は自己責任等、「個」を強調するきらいがあるが、個であることはリスクは取れるが、リスクヘッジは取れないことを意味する――そのことで進化的に不利なのである。

つまり、協会は「種」であることで、建設というミームにとっては進化的に有利な戦略なのである。今は協会という共同体に対する淘汰圧力が強いのもたしかだが、われわれはまず、個(会員)が拠って立てる地面としての協会であるために、イントラネットをつくった――そしてそれはうまく機能してくれた。

しかしイントラネットの欠点は、それが閉じたネットワークであるということだ。閉じていることで〈他者〉とつながらない。つまり〈他者〉からの信頼を得にくいことで、経済活動が円滑にすすまないのである。

Googleと公共事業という産業の大きな違いはなにかといえば、その円環の〈開/閉〉だろうというのが(私の)仮説なのである。

Googleも公共事業という産業も、贈与の行為としては、やっていることにたいした違いはない。ただ大きな違いがあるとすればそれは情報の発信量とその質だろう。

つまり違いは、Googleは情報を発信し続けてきたけれども、公共事業という産業は情報を発信してこなかったということにある。それがこの10年の間に、両者の立場を逆転させてきたのだと(私は)考えている。

ブログ化

それで遅ればせながらもブログ化――自ら情報を発信する、なのである。これは閉じた円環のひねり、つまり円環からメビウスの帯への変化である――そしてそれは外部からひねられているのではなく、自らのひねりなのである。

それがわかっているなら、もっと早くからやっていればよいではないか、と言われるかもしれないが、だからキアスムなのである。

これは今だからできるのであり、1年前ならできなかったのである――このあたりが交換の原理に侵された脳みそには理解不可能らしい。

変化には時間が必要なのである。そして今は、交換の原理の圧力が強いので――多くの脳みそは交換の原理に侵されてしまっているので――、多くの協会の場合、基礎(円環としての協会という、拠って立つ地面)が機能していない。

だからブログ化は、今からやろうとしても、多くの協会の場合、まったく出来ない可能性の方が高いだろうと(私は)思うのだ。

投稿者 momo : 2007年03月03日 10:52 : Newer : Older

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