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2019年03月03日|お知らせ


2007年04月02日(月) 

岩手県知事選 建設業界だんまり。

午前7時起床。浅草はくもり。昨日に比べればかなり肌寒い朝だ。

「岩手県知事選 建設業界だんまり 受注減余力なし」(河北新報ニュース:登録制)

岩手県知事選で県内の建設業界が沈黙を保っている。告示前に業界の政治団体が自主投票を決め、個別の動きもほとんど目立たない。公共工事減少で業者に余力はなく、国政野党の民主党が県政界で最大勢力を持つ岩手の特殊事情が業界の選挙離れを加速させる。業者は「今回は人物本位で選ぶ」と静観の構えだ。

種の危機

建設業界が選挙にタッチできないことは、種的な組織戦ができないということだ。つまり〈種〉(職能的種)が機能していない。

岩手県に限らず、選挙とは、自らの〈種〉の代表者を、その上部機関(種間の調整機関)に送り込むことで、自らの〈種〉の存続優位性を保とうとするものである。それを否定するなら民主主義もなにもないと(私は)思う。

利益誘導型とか癒着とか批判されてはいるが、経済活動を基盤とした社会で、職能的種を基礎とした選挙は多かれ少なかれ避けて通れるはずもないのである。なんだかわからない主義主張を並べ立てられるより、「私は建設業の味方です」と言ってもらった方が選挙(つまり民主主義)はぐっと身近なものになる。

しかし今は、それはナイーブに批判されているわけで、そのことで、職能的共同体と地勢的共同体の結びついた――つまり公共工事依存型の地域社会では、選挙のあり方さえ変わってきていることがわかる――ことで、リアルな共同体は破壊されている。

人物本位

そして「今回は人物本位で選ぶ」という。これは多分にマスコミ誘導型のフレーズであるように思うし、建設業の本意ではないと思うが、百歩譲って「人物本位」の選挙をするにして、では「人物本意」ってなによ、なのである。人物本位とはなんだろうか。それは我々の何を代表するのであろうか。

それは結局は、近所のおじさんを選ぶ、というような円環的共同体から抜け出せていないだろう。そしてその円環的共同体というのも、実際の私の生活社会とは無縁なバーチャルなものでしかないだろう。

その端的な例が宮崎県知事選挙だと(私は)考えている。そのことをここでは詳しくは書かないので、興味のある方は「テレビという共同体と芸人の進化的戦略―加護ちゃん引退。」を参照いただきたい。

そしてそれは、むしろ近代(モダン)からは後退してしまっているのではないだろうか。我々はまだモダンでもないのに、ますますモダンから退行している。そしてそれはバーチャルなムラ社会的であることで、選挙は益々我々の生活社会から実感として遠のいてしまっているのではないだろうか。

Tags: 岩手県 , 選挙

投稿者 momo : 2007年04月02日 11:10 : Newer : Older

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