熟語本位 英和辞典

熟語本位 英和中辞典

斎藤秀三郎(著)
豊田実(増補)
1933年3月15日
岩波書店
4600円+税


午前6時起床。浅草は晴れ。此の頃、斎藤秀三郎の『熟語本位 英和中辞典』を読んでいる。それは英語を勉強しようということではない。翻訳ならある程度はネットで出来る。ただあたしは、この辞典に出会ってしまったことで、辞典を読んでいるのである。

この辞典は、できるならば30年前に出会いたかった。しかし、あたしには、つい最近までこれの存在を知らせてくれる人はいなかったのである。ふと目にした柳瀬尚紀先生の、浅草寺の仏教文化講座の記録を読んでいて、この歳になってはじめてその存在を知った。

この辞典は、初版が1933年(その原型は1915年)であり、旧仮名遣いのまま今でも出版されている。それを読めば、英語の言い回しよりむしろ、日本語表現の豊かさに心惹かれる。この辞書には(ついこのあいだまであった)日本という国のイディオムが溢れている。

「He took her with his eyes open.」をexcite翻訳で訳すと、

彼はちゃんと承知のうえで彼女を連れて行きました。

となる。これはこれで凄いな、とは思う。「目を開いて」ではないのだからね。しかし、『熟語本位 英和中辞典』はもっと凄い。

疵物と知りつつ貰った

なのである。今なら、英文表記でも「He married her with his eyes open.」としないと不適切な表現かもしれない。猫や犬じゃあるまいし「took 貰った」は(今は)ダメだろう。そして「疵物と知りつつ」なのである。「疵物」などと訳せるものはなにもないのにそう訳してしまう。これが斎藤の主唱したidiomology(慣用語法学)なのだろうな、と思う。

これ(「疵物」)をYahoo!辞書で調べれば、

傷のついた物。また、傷のある不完全な物。

でしかないわけで、なんと味気のないことか。つまり「疵物」のもつもう一つの〈俗語〉的な意味である、「貞操を失った未婚の女性」が(今は)はないのだ。

たしかに「疵物」をそんなふうに使えば、世の中「疵物」ばかりだろうし、「疵物」であることが、結婚の障害であるような時代でもない。しかしあたしらは、そのこと(社会の変化)で、あるイディオムを失っていることに気づく。

この英和辞典はそういうイディオムに溢れていて、だからこの辞典を読むことは、英語との格闘ではなく、日本語との格闘でしかなくなる。それがあたしには面白い。

ところで、「斎藤秀三郎」をネットで調べているうちに、八木博さんのテクストに出会った。それは10年程前に「小沢征爾」について書かれたもので、小沢征爾の先生である斎藤秀雄の父が斎藤秀三郎なのである。

小沢征爾は桐朋学園で斎藤秀雄の教えを受けました。そして、その時に彼の音楽に対する目、自分の音楽に対する関わり方が決まったと言われています。その斎藤秀雄のお父さんと言うのは、英文学者の斎藤秀三郎です。この斎藤秀三郎という人は英語の慣用語法の解明に情熱を傾けた人だそうです。彼が集めた慣用語の集大成は、時の英米の文学者すら驚くほどの蓄積だたそうです。(これは、私の父から聞いた話です) /その辞典は今でも岩波書店から発売されていて、熟語本位 英和中辞典として、続いています。初版は1936年で今でも旧仮名遣いのままで出版されています。私は、ここに明治の気概を見ることが出来ると思います。夏目漱石も同じ時代の人でした。

八木さんはこの辞典を知っておられたのだ。素晴らしい!