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2019年03月03日|お知らせ
「なぜにあなたは自営業者なのか」と尋ねられれば、「鬱陶しい人間とはできる限りかかわりあいたくないから」とあたしは答える。
「ポーキュパインフィッシュのような人」とうちのかみさんがいっている江弘毅から、往復書簡の原稿が届いていた。取り急ぎ「大福のはなし」を書いて、江の原稿をアップする。
頼むし、「都市計画」「まちづくり」みたいなもんは止めといてくれ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡
それは泣かせるテクストで、ロックがロックしていた時代を思い出させる。以下でリンクされている二つのテクストもいい。
けれども大阪の南船場や堀江でオレらが現場で見てきた「行きたい店がないから、自分たちでつくる」「自分がいいと思ったものを自分が流行らす」としてやってきた先駆者たちは、あんまり商業施設においての利潤追求というベクトルがなかった。そういう視点は持ちたかったけど持ちようがない、というのが実際のところでした。
そこにあるのは、「街的」なOSの衰退、もしくは人間の情熱の衰退、または欲望のインポテンツ、将来を一緒に考える地図と暦の衰退の嘆きなのだけれども、あたしはえげつないぐらいの「銭儲け」に対する人間の情熱のようなものは好きで、それが欲望の根底にあることを絶対に否定しない。
つまり、「来月の生活費どうしよう」からの行動は「あり」なのである。しかし、
それは決定的にMBA的なビジネスの世界ではないし、なぜなら街には街のその成り立ち方というものが全然違うから「その街」なのであって、そもそもアメリカ村でも南船場でも堀江でも(浅草でもいいのですが)そのOSが違う。
と江がいうようにOSが違うのだ。往復書簡であたしが先に書いたOSの入れ替え
その何が幸福なのかを
現代のOSは
手取足取り教えてくれる
ああ、鬱陶しい!
は、自営業者の心象のようなもので、「なぜにあなたは自営業者なのか」と尋ねられれば、「嫌いな人間とはできる限りかかわりあいたくないから」とあたしは答える。じゃなかったら好き好んでこんな楽じゃない生き方なんかするわけはない。
しかし、そんなんじゃ食っていけないのもたしかだから、「来月の生活費どうしよう」なのであって、必然的に嫌いな人間ともかかわらなくてはならない。だからあれこれ考えるわけだ。そのあれこれ考えるプロセスがつまりは「街的」のようなものであって、つまりは地図と暦をもって「考える」のである。
「現代のOS」は、その「あれこれ考える」をショートカットし、カッコに入れてしまうことで「考えなくてもいいよ」といってくる。お金が欲しけりゃ時給850円なのであって、「嫌いな人間ともかかわらなくていいよ」といってくる。しかしあたしはそれが鬱陶しいのである。
そんな鬱陶しいことをいう方々とは生活のためにだって付き合いたくもないのだから、つまりそれは「嫌いな人間」ではない。ただ鬱陶しい存在であり、自営業者の自立性(あるとすればだが)を傷つけるのである。
こう書いたところで、であたしは前言を撤回しなくてはならないわけだ。つまり、「なぜにあなたは自営業者なのか」と尋ねられれば、「嫌いな人間とかかわりあいたくないから」ではなくて、「鬱陶しい人間とはできる限りかかわりあいたくないから」とあたしは答える、なのだな。
嫌いな人間とは、「街的」の中にいる「街的」な人々なのである。「街的」は嫌いな人間同士が生活していくためのノウハウ集のようなものだものね。
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: 2008年03月29日 09:38: Newer
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