大濱ロール 東京の「の」の字
大濱ロールの「の」の字              図:ロラン・バルト:『表徴の帝国』:p53


大濱ロール

大濱ロール栃木組さんとの忘年会のとき、轟さんから、クイーン洋菓子店の大濱ロールをお土産にいただいたのだ。このロールケーキの凄さについては、今までさんざん書いてきた(ので今更書く必要もないだろう)。

「の」の字の構造

ロールケーキは、「の」の字を書く。もちろん大濱ロールも「の」の字を書く。それは、東京の都市構造と同じで、東京の中心は空虚だといったのはロラン・バルトである。※1 

ジャック・ラカンが自我の中心は空っぽなのよ、といったら、ヨーロッパ人たちは驚いたり怒ったりしたのだけれど、「の」という文字をもっているあたしら(日本語で考え、その考えを日本語で述べる人)は、会社も、協会も、町内会も、都道府県も、政治も、個人でも、その中心がからっぽであることを知っていたりする。

だから偶有性は機能するのであって、麻生さんでも首相になれたし、芸人でも知事になれたりする。純情な乙女は、好きな人の前では、もじもじと「の」の字を書いて、あたしは今は空っぽよ、とアピールできる。

大濱ロールは、その「の」の字の空虚さの中に、クリームと粒栗を詰め込んでみたのであるが、それはたんなる空虚さの穴埋めではなく、逆に空虚を強調している。つまり中心は空虚であるが故に、その空虚を埋めるモノで、全体が如何様にも様変わりできる可能性を示しているのである。

しかし(というよりも、だからか)大濱ロールのスポンジの、「の」の字にそって白い模様を描くクリームこそが、じつは大濱ロールの正体なのであって、それは代替え可能だけれども、代替えしたら大濱ロールではなくなってしまうから「大濱ロール」なのである。

それは中心の空虚さを持つ構造ではみんな同じ。つまり、会社も、協会も、町内会も、都道府県も、政治も、個人でも、今、その中心を埋めているのは何?と考えてみればよいのである。

その多くは「デタラメ」で(たぶん)、あたしのデタラメさは「の」の字に由来しているし、「商品」の偽装も「の」の字だからこそできたりする。だから「デタラメ」じゃない(と自分が思える)モノを、あたしらは欲望しているのだろうが、大濱ロールは、(あたしの)デタラメじゃないもののひとつなんだな。ということで午前3時起床。浅草はくもり。

クイーン洋菓子店 本店
宇都宮市若草1-9-11
0120-40-4830
クイーン洋菓子店

※注記1

表徴の帝国

ロラン・バルト(著)
宗 左近(訳)
1996年11月7日
筑摩書房
1000円+税