筋子とかずの子 雄武の筋子
筋子とかずの子


砂子さんから筋子(雄武産、札幌の多加良屋経由)と数の子をいただいた(ありがとうございます)。あたしは魚卵(特に筋子)にはまったく目がない。  

あたしは筋子好きである。どのぐらい好きかといえばアメ横に筋子買出しのために月に1回は出かけていて、いつでも筋子が出てくる体制(備蓄という)がないと心が寂しく星一徹よろしくちゃぶ台をひっくり返しそうになるぐらいに好きなのである。もっともうちにはちゃぶ台はないし(引越しする前はあったのよ)、仮にちゃぶ台があったところでそんなことをすれば、かみさんに後始末は自分でやれ、と冷たくあしらわれるのがオチなのでできやしないけれど。w  究極の朝餉(1)―ひとくち手まり筋子を炊き立てのご飯にのせて食べること。(札幌市:佐藤水産) from モモログ

雄武町今回いただいた筋子には、雄武おうむ産のクレジットがあって、そこはオホーツクなんだけれど、オホーツクには散々通ったはずのあたしでも、雄武には行ったことがない(たぶん)。

けれどその町の名前を知っているのは、その名前の響きからで、あたしの「おうむ」は、あのヘンな団体ではなく、風の谷のナウシカに出てきた王蟲オウムなのである

オウムあたしは王蟲のファンである。あれは人間がそもそも自然じゃないことを教えてくれるトリックスターのようなものだ。けれど自然に刃向かってしか生きることのできないあたらしらは、自然に踏みつぶされてはまた立ち上がる、云ってみれば、あしたのジョーのような存在なのである。

だから、そのうち白く燃え尽きてしまうのだろうけれど、あたしはナウシカのように生きるのは無理!と(「風の谷のナウシカ」をみて)理解してしまったので、そんなら一生自然に刃向かって生きてやる、と誓ったのである(だから土建屋なのだ)。

「風の谷にナウシカ」からは、そういう〈自然/人間〉の対立の必然性を学んだのであって(それは宮崎駿さんの意図したものとはたぶん違う、たぶん)、もちろん雄武町を知ったのは王蟲を知ったずっとあとのことだったけれども、雄武町には王蟲が住んでいると思っている。だからあたしは雄武町には近づけないのだ(たぶん)。

究極の朝食、筋子でご飯を食べる。しかし雄武から勝手にあたしのところにやって来るものを拒む理由はなく(例えそれが王蟲であってもだな)、今回届いたものが筋子であったのは幸いだった。

うまい筋子のある朝食は、究極の朝食である。もちろんこの雄武の筋子は究極である。文句なくうまい。

あたしは例によって、韓国海苔で、ご飯と筋子を巻いて食べるのだけれども、しかしそれがどこかで王蟲に似ていることに気付いてしまった。あは……。