原子力事故の国際評価と主な具体例


まれびと

午前5時起床。浅草は晴れ。福島第一原発の事故が、「レベル7」に引き上げされた。レベルがいくらにあがろうが(もうこれ以上はあがらないが)、あたしはこの事故は、折口信夫のいう「まれびと」だろう、と感じた。※1

柳田国男は共同体の同質性や一体感をささえるものこそが神だと考えていた。そうなると、神と共同体はある同じ性質を共有している必要がある。柳田の考えでは、先祖の霊こそがそれにふさわしい存在だった。(略)

ところが、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神概念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。(p32)

あたしは『「まれびと」とは、あらかじめ予測される逸脱のことだ』※2と書いたけれども、十分に予想することは可能だっただろう。しかし予想で終わるうちは「まれびと」にならない。『共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない』なのである。

それは「あたしの知らない世界」からの来訪者であるかのように振る舞う。ただ折口信夫がいうように、「あの世」や「他界」だけでなく、残念ながら人間の知恵も思想も及ばない、徹底的に異質な領域があたしらの生活に中には「ある」ことを教えてくれているのだ。

「『安全ですから、来て下さい』とは、とても言えない。事態が収束するのをただ、待つしかない」状態。これは科学に慣れたあたしが、かつて出会ったことのないカオスだ。 

福島第一原発の事故の「国際原子力事象評価尺度(INES)」の暫定評価が「レベル7」に引き上げられた12日、県内からは、産業への影響を懸念する声が広がり、立地自治体からも一刻も早い事態の収束を願う声が上がった。(まとめ・小野隆明)

■経済  「『安全ですから、来て下さい』とは、とても言えない。事態が収束するのをただ、待つしかない」。台湾など海外からの観光客誘致に力を注いできた県国際・マーケット戦略課の担当者は肩を落とした。(略)

 ■不安  福島県南相馬市から大野市に避難してきた会社員森川哲也さん(45)は、「すぐ戻るつもりで避難したのに……。数十年間立ち入り禁止もあり得るのでは」と不安そうに語った。  「原子力発電に反対する県民会議」の小木曽美和子事務局長(75)は「チェルノブイリの事故と同じ運命をたどり、影響が後世に及ぶのでは。国内には巨大地震が起きる可能性のある場所に原発があり、同じレベルの事故は起こり得る。これ以上、次世代に<負の遺産>を残すべきではない」と指摘した。 (2011年4月13日 読売新聞

※注記

  1. 『古代から来た未来人折口信夫 (ちくまプリマー新書 82)』 中沢新一(著) 2008年5月10日筑摩書房
  2. 『古代から来た未来人折口信夫』 中沢新一を読む。 from モモログ