桃知商店よりのお知らせ

『髪結いの亭主』 Le Mari de la coiffeuse パトリス・ルコント監督を見る。

アンナ・ガリエナ:マチルド (Mathilde)アンナ・ガリエナ:マチルド (Mathilde)


髪結いの亭主と「萌え」

午前4時10分起床。浅草は雨。映画『髪結いの亭主』は、butchiさんが、『鐘ヶ淵に頭を刈りに行ってきたこと(小沢理容室)。』の記事にコメントをくれていて、名前だけを知っていた映画だが、スカパーのIMAGICAでやっていたのでつい見てしまえば、なるほど、あたしとは似ても似つかぬ主人公と、絶世の美女の映画で、ユッタリと時間が流れる、非常に面白い映画なのだった。

あたしは、子供の頃、近所の床屋にいけば、ばあさんのような人が居て、髪結いに「萌える」ということはなかったのだが、そう、これは「萌え」の映画に違いなく、主人公は髪結いに、それも少し太めの女性に「萌え」まくっていたのだが、ある日彼女は死んでしまう。しかし彼の「萌え」は消えることなく生き続け、マルチドに出会うのである。

一方、あたしと云えば、小学校の頃、まだ若い女の先生がいて、その先生の胸の谷間に心がときめいた覚えがあるが、そのときめきは(今は無いが)暫く引きずっていたが、そのまま終わってしまう、という、あたりまえの筋書きの中にある「萌え」だったが、まあ、それに近いものをこの映画を見て思い出していた。

そんな風に見ていくと、この映画は、パトリス・ルコント監督による、「萌え」の思い出や、もっと端的には己の欲望を描いたものかもしれず、云ってみれば「オタク」映画であるだろうが、何故か最後は少しだけ哀しい。でも、主人公は一切涙なくこの映画を終わらせているところなど、1990年にこれだもの、フランス人はなかなかなものだな、と思うのだ。

あらすじ

アントワーヌは回想している。

ジャン・ロシュフォール:アントワーヌ (Antoine)12歳の夏ノルマンディーで母の手編みの水着で遊んだことを、石鹸とコロンの匂いに包まれた理容室、シェーファー夫人の理容室に通って髪結いを妻にすると決めたことを、それを告げた父に平手うちにされたことを。中年の頃、イジドールから譲られたサロンで客を待つマチルドを見つけ、調髪してもらったその場で求婚したことを、ささやかな結婚式のことを、常連客のモルヴォワシューと婿や、飛び込みの客が店に来る様を。友達も、子供も、仕事も要らない。酒も、煙草も、旅行もしない。大切なのは、このサロンで、マチルドだけ。平穏な10年が過ぎた。

マチルドは言った。「ひとつだけ約束して。愛してるふりは絶対しないで」

雷雨の夕刻、愛を交わしたマチルドは、買い物に行くと言って雨の中を出ていき、増水した川に身投げした。

もうマチルドがいないサロン。ひとり、いつものようにクロスワードパズルをする。客が来た。子供の頃から時折するように、中東の歌に合わせて我流の踊りを披露した。「妻はもうじき戻ってきますから」と言ってクロスワードを続ける。(from ウィキペディア

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