レバ刺し
午前4時30分起床。浅草はくもり。一昨日の夕餉は、大福園でレバ刺しを食べたのだが、これが、もしかしたら最後のレバ刺しになるかもしれず、あたしは、「これが最後の味だよ」、と心に記して食べたのである。レバ刺しは、7月1日からは、店頭から姿を消してしまうのだ。
神話のアルゴリズム
Fx(a):Fy(b)~Fx(b):Fa-1(y)
:はアナロジー関係
a=レバ刺し x=レバ刺しの機能
b=レバー焼き y=レバー焼きの機能
レバ刺しがなくなれば、焼肉屋では、レバーを焼いて食べるしかないのだが、レバ刺しとレバー焼きはたいしてかわらないのだ。レバ刺しを食べるあたしを、それは食べちゃダメだ、と御上が止めるのだが、その代わりに食べていいものは、レバー焼き、ということになるのである。
レバ刺しの代わりにレバー焼きを食べる時、レバー焼きは、レバ刺し性を帯びるだろう。つまり、焼くには焼くが、周りだけで、中は超レアにである。その時、レバ刺しとレバー焼きはたいしてかわらないのである(いや、ほんとうは全然違うのだが、神話のアルゴリズムでは、たいしてかわらない、というのだ)それが Fx(b)である。
レバー焼きはレバ刺しの代わりを務めるが、つまり、レバ刺しはもういないのだ。それが a-1 の世界である。それはレバ刺しはいない状態(でもレバー焼きはいる)世界 Fa-1(y) である。
つまり、レバー焼きのおかげでレバ刺しが機能する世界秩序 Fx(a)は、レバ刺しのない世界秩序 Fa-1(y)に書き換えられている。
しかし、考えてみれば、レバー焼きであろうがレバー刺しであろうが、あること自体が凄いのであり、いってしまえばレバー焼きがいるために、レバ刺しの味は残り――レバ刺しはまたやってくる(はずである)。つまり、また振り出しに戻るのである(たぶん、絶対にである……と思いたい)、とこれが神話のアルゴリズムのいうことだろう。[浅草グルメマップ]
大福園
台東区浅草2-13-6
03-3841-2705
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