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2006年07月07日(金) 

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)

トーマス・フリードマン(著)
伏見威蕃(訳)
2006/05/25
日本経済新聞社
1900円+税

コンドラチェフ波動

『フラット化する世界』を読んでいて、コンドラチェフ波動に連想が働き、しばらくほったらかしていた画像に手を加えてみた。

(↓)クリックすると大きな画像が表示されます。

 06070601.jpg

たぶん、今の時代は、政策的にも何が正しいのか、手探り状態が続く Innovator's Dilemma から、コンピュータ利用とデータ交換の大衆化の局面を迎えることで、情報産業のコンドラチェフ波動は、本格的に突破段階となったということができるだろう。

その具体的表出が「フラット化」だとも。

来し方を見れば、この十数年はじつに流れが速かった。(「訳者あとがき」より)

このコンドラチェフ波動の、ほんの数ミリの解釈に、まさにそれを実感する。

フラット化と文化

さて、『フラット化する世界』だが、上巻がフラット化を推進する技術に対する過剰な信頼(Radical Trust)に溢れていたとすれば、下巻はその信頼に陰りが混じる。

それは、フリードマンが、「文化」に言及しているためだろう。

それはまた、私の個人的(そして職業上の)問題意識――ITが普通にある時代の「私」の生き方――、と重なる部分でもあり、私的には下巻の方がより興味深く読めたのもたしかだ。

文化の問題とは、つまり人の問題である。

いまのグローバリゼーション3.0では、個人が、グローバルに栄えるか、せめて生き残れる方法を考えなければならない。そこには科学技術の技倆だけではなく、かなりの精神的柔軟性と、努力する気持ち、変化に対する心構えがなければならない。アメリカ人はこの世界でも栄えると、私は確信している。だが、過去五〇年ほどには容易でないとも思っている。われわれ個人は、生活水準の向上が止まらないようにするために、もっとせっせと働き、もっと速く走らなければならない。(下巻:p9)

フラットな世界で個人として栄えるには、自分を「無敵の民」 にする方策を見つけなければならない。そのとおり。世界がフラット化すると、階級制度はひっくり返る。たとえはよくないが、フラットな世界では、誰もが無敵の民になろうとしなければならない。私の辞書の無敵の民とは、「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることがない人」を意味する。(下巻:p12)

私には、まるで何かに脅迫されているような生き方にしか思えないのだが(まあ、それは置いておいて)、「自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されることがない人」とは、どのような人材なのか。

フリードマンの挙げる新ミドルクラスの仕事の要素は次のようなものだ。

新ミドルクラスに必要な人材

  • 偉大な共同作業者・まとめ役(マネジメント能力)
  • 偉大な合成役(マッシュアップ)
  • 偉大な説明役(複雑なものを見て、わかりやすく説明する)
  • 偉大な梃入れ役(マシーンと人間のハイブリッドとしての生産性)
  • 偉大な適応者(なんでも屋)
  • グリーン・ピープル(環境問題)
  • 熱心なパーソライザー(人間同士のやりとりという技倆の復活)
  • 偉大なローカライザー(中小企業とグローバルのローカル化)

ではこれに対応できる人材とは、如何なるものかといえば、次のようになる。

理想の才能を求めて――教育と競争の問題

  • 学ぶ方法を学ぶ(今知っていることは思ったよりも早く時代遅れになってしまう)
  • IQよりもCQ(好奇心指数)とPQ(熱意指数)が重要(好奇心の強い子供ほど一生懸命学ぼうと努力するものだ)
  • 人とうまくやる(人を好きにならなければならない)
  • 右脳の資質(ここでは、『ハイコンセプト』を引用して説明している)
  • チューバと試験管(才能のある学生の大部分は、教室で教わることよりも、創造的な表現手段のほうに興味を示す)
  • 理想の国

理想の国

バロックの館最後の「理想の国」を除く事項は、私が「考える技術」として考えているものとさほど変わらない。

問題は「理想の国」である。

これは、ベルナール・スティグレールが『象徴の貧困』でいう、「象徴」のことであり、つまり、バロックの館の一階部分のことであり、「われわれ」であり、「中景」であり、「依って立つ地面」のことだ(と解釈してよかろう)。  

私の「考える技術」でいう「ひねり」とは、象徴の一部否定であるが、それは自己言及(コミュニケーション)による、自己のキアスム的な変化でしかない。

つまり、象徴の一部否定ができるのは、象徴があるからこそであって、それは「依って立つ地面が信頼できるときだけ人は変化に耐えられる」ということでもある。

今の米国に、はたしてこれはあるのだろうか。

フリードマンは、仕事を生み出し、フラットな世界で成功するような人々を教育するために必要なものが、理論上は、アメリカにはあるという。

アメリカの一階部分

  • 規制が緩和された柔軟な自由市場経済がある。
  • イノベーション発生マシン――大学、官民の研究機関、小売業者、資本市場――がある
  • 開放的な社会――なんでもできて、なんでも始められて、潰れてもやり直せる社会――がある
  • 質の高い知的財産保護制度がある
  • 柔軟な労働法がある
  • 世界最大の国内消費市場がある
  • 高度な信頼がある――山岸俊男先生の云う「一般的な信頼」である――

文化の規範、ビジネス手法、法体系など、こうした制度が組み合わさった効果をまとめるなら、ひとことでいい表わすことができる。信頼である。これらが高度な信頼を生み出し、ほかにも刺激をあたえている――開かれた社会が示せる最も重要な特徴こそ、この高度な信頼なのだ。いろいろな面で、信頼こそアメリカの秘密のソースの全材料といえる。(p69) 

一般的信頼の高さの日米比較をすると、米国の方が高いことは山岸俊男教授の研究に詳しいが、これは米国の文化的な特徴である。

しかしフリードマンはこういうのだ。

・・・では、われわれはそれをやっているのか?

(中略)

・・・この質問の答えはノーだ。 

(編集中)
061129:文書を全体的に修正した。

投稿者 momo : 2006年07月07日 07:45 : Newer : Older

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